前回の自己紹介の部分でも書きましたが、私が所属している神戸の安養寺は、約18年前の阪神大震災で全壊し本堂がありません。その時は、他の方が住職をされていましたが、約10年前に父親が住職に就任し、やっと今年、本堂の再建が始まりました。
始めに、安養寺の歴史に触れておきます。
正式名は、浄土宗、大悲山、成覚院 安養寺。
現在は、兵庫県神戸市中央区にありますが、元々は、兵庫県尼崎市にあったお寺で、創建は、約1000年以上前とされている。
建立した方は、恵心僧都(源信僧都)の妹、安養尼といわれ、母親の菩提を弔うために建立したと伝わっている。その後、貞享元年(西暦1674年)に亡くなった尼崎の城主、青山幸利候の遺言により、現在の地移されることとなった。
戦争中に本堂が取り壊され、仮の本堂を建てたが、18年前の震災で倒壊し、現在にいたった。
したがって、今回の再建は、戦後以来の本格的な本堂再建になります。
建て方は、昔ながらの本堂の建て方。釘をあまり使わず、木をくみ上げていく建て方です。また、柱は、地面に置かれた石の上に乗っているだけの、「伝統石場建て」という技法で建立中です。
木材は、梁が国産の松で、一部ケヤキ、それ以外は国産の檜を使い、釘も、和釘という鍛冶屋さんが刀を作るように打って作った日本特有の四角い形の釘を使います。
余談ですが、なぜ木をくみ上げていく技法が発達したかというと、「昔、鉄が貴重で使える量が限られていたので、木をどうにかして組んでいこうと考えた結果で、釘を使わなかったのではなく、使えなかったから」と宮大工さんが教えてくれました。
昨年末に基礎工事がスタートし、今年4月10日からくみ上げを開始しました。
始めにメインとなる柱を運び込み建てました。
柱は、直径45センチで、本堂内部両側に6本ずつ並びます。
その後、柱の上をつないでいき、大きな梁をのせます。
梁だけは、松の木を使っていますが、この直径も約60センチ。
柱の元から天井までの高さが、約5m50p、天井から屋根の上までの高さが、約5m50p程あります。
現在は、約一ヶ月ほど経過し、大まかな形ができあがりました。
組み上がっていく様子を見ていると、宮大工さんの技術のすごさにも感動します。
木を隙間なくくみ上げていく技術。
二本の木を絶妙にカットし、強度を保ちながらつなぎ合わせる技法。
職人技です。「すごい」としか表現ができません。
まさに、日本の伝統技術の結晶です。
一から本堂を作る所を見るのは初めてなので、このように驚きの連続で、お寺にいても知らないことがたくさんあったと考えさせられます。
そして、最も考えさせられたことは、今でこそクレーン車・鉄のがっちりした足場があるのが当たり前ですが、それがなかった時代にお寺を建立され、しかも、今でも修復を繰り返して残っていることです。大量の木材を集め、大きな木を運ぶ作業などは、どれだけ大変な作業だったのだろうか。安易な思いでは、本堂を作ることはできなかっただろうと思います。
そこには、お寺を建立することを決めた人の思い、作る職人の思い、強い信仰心などたくさんの思いが込められていたはずです。また、それが今の時代に残っているというのは、お寺を守ってきた人の思いがそこにプラスされているはずです。
ただ、お寺という建物をみるだけじゃなく、その裏側にある苦労、思い、そしてそれを維持してくれてきた人への感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うともに、私達だけが「よかった」と満足するのではなく、私達も、次の世代に、伝わってきた思い、日本の伝統技術を残していかなければと感じました。
次は、宮大工さんに焦点を当てて書きます。
安養寺 清 水 良 将
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