仕事柄、ときに版本を見ることがある。おおかた江戸期のものである。活字本と違って、何か特別な書物を読んでいるようにも思われて、背筋がピンとするのが不思議であり、時として気持ちのよいものである。
特別なものを除けば、江戸期の版本で1冊数千円で買うことができるが、やはり絵入りのものになると多少高くなる。江戸後期になると出版事業も盛んとなり、多様な分野の本が作成され、人気のある洒落本や人情本などは江戸文化の成熟とともに重版されていく。また、仏教関係書物も流行本には及ばないまでも、ある意味では安定的に再版が重ねられていったようにも思われる。
最近気付いたことであるが、閻魔(えんま)信仰に関わる書物には、閻魔さんの怖さをリアルに描くためか、積極的に絵入りの版本が作成されたようである。閻魔さんは、冥界の王・総司として死者の生前の罪を裁き、嘘をついた者は地獄で閻魔に舌を引き抜かれる刑に処されるという俗説まで生じて、子供を叱ることの常套手段になっているのである。
その閻魔さんの絵が、どれも同じ図柄が用いられているように思う。現在のように版権が云々される時代ではなく、むしろ閻魔さんの姿が共通の概念となった結果といえよう。
そういえば、法然上人も日蓮聖人も当然ながらそのお姿を伝える写真があるわけではないが、描かれるそのお姿はみな同じようである。法然上人は柔和なお顔立ちであり、日蓮聖人はおおかた凜々しいお顔である。そのご生涯によるものであろうか。
今ひとつ気がついたことであるが、絵として描かれた法然上人のお姿は、おおかた右の方をご覧になっている。日蓮聖人は左向きである。
この法然上人のお姿は、後白河法皇が上人の教えに感動して似絵(にせえ)の名手である藤原隆信にその姿を描かせたという伝記があり、法然頭も又この肖像画に始まるといわれている(知恩院藏披講の御影)。
因みに拙寺の法然上人のお姿も、この流れを踏襲している。この原稿を書き終えて、改めで手をあわさせていただいた。
【版本】 はんぽん
広義では書写本に対して印刷に付した書物をいい,狭義では活字その他による印刷本に対してとくに木刻整版本をいう。
【洒落本】 しゃれぼん
江戸時代の小説形態の一種。享保(1716‐36)後半から始まり,文政(1818‐30)ころまでに多く刊行された,遊里に取材する短編の小冊子(小本(こほん))。遊客遊女などの姿態言動を,会話を主とした文章で写実的に描き,かんたんな小説的構成をとるものが多いが,漢文体,狂文体の遊里繁盛記・風物誌,あるいは遊興論もある。〈洒落〉とは,遊里を中心に生まれた〈通(つう)〉という美的生活理念を中軸として,人間の言動の滑稽味を描くことを意味する。
【人情本】 にんじょうぼん
幕末から明治初年にかけて流行した近世小説の一ジャンル。人情本の源流の一つは,式亭三馬,梅暮里谷峨(うめぼりこくが)らが,寛政の改革以降に著した物語性に富む連作洒落本(しやれぼん)に求められるが,それとともに読本(よみほん)を通俗化し,講釈などの話芸をとりいれた中型読本と呼ばれる大衆読み物からの転化が考えられる。前者の系譜を引くのは《娼妓美談(けいせいびだん) 籬の花(まがきのはな)》(1817)など,末期洒落本作者として出発した鼻山人であり,後者の中型読本から市井の男女の情話を描く人情本様式への転回を告げたのは,新内の名作《明烏(あけがらす)》の後日談として書かれた,2世南仙笑楚満人(なんせんしようそまひと)(為永春水)・滝亭鯉丈(りゆうていりじよう)合作《明烏後正夢(のちのまさゆめ)》(1819‐24)と素人作者の写本《江戸紫》を粉本とした十返舎一九の《清談峯初花(せいだんみねのはつはな)》(1819‐21)であった。
【似絵】にせえ
鎌倉時代から南北朝時代にかけて流行した肖像画の一種。13世紀から15世紀にかけて確認される〈似絵〉の用語例をみると,尊崇や礼拝のための理想化の加えられた肖像画とは異なる写生画的・記録画的肖像画で,主眼はもっぱら対象とする人物に似せることにあったと思われる。
【法然頭】ほうねん‐あたま
《法然の頭の形に似ているところから》頂がくぼんでいる頭。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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