3月中頃に日本に帰国しました。
ブッダガヤの近くにあるガヤ空港から午後2時半に飛行機に乗り、約4時間のフライトで一端バンコクへ。
バンコクの空港内で2時間ほど待った後、日本行きの飛行機に乗り到着したのが、次の日の朝6時頃です。
ブッダガヤを出発した日の気温が、30度近く。日本に着いた時の気温6度。
一日でこの気温差は、毎年のことながら体にこたえますが、空港から一歩外に出た瞬間に吸う空気は、乾燥しきったブッダガヤの空気とは違い、ほどよく湿気を含み、澄んでおり「すっ」と喉を通っていきます。日本に帰ってきたんだなと「ホッ」とする瞬間です。
「ホッ」とすると共に、昨日までは裸足の子供達と共に、牛やヤギ、ニワトリ、ゴミまでもが道ばたに溢れていて、夜は真っ暗なブッダガヤにいたのに、今は綺麗な建物が建ち並び、道ばたにはほとんどゴミがなく、夜も街頭が明るく照らしている日本に立っていると、同じ時間・時代の中で生きていても、ここまで状況が違う世界が存在することに、様々なことを考えさせられます。
その中で、私が神戸に住んでいるということもあるかもしれませんが、ブッダガヤに居る時は、日本にいる時より自然を肌で感じ、意識することが多々あります。一つは、生活の中で日本に居るとき以上に、太陽や月の存在を重要視しているからです。
2月号にも書きましたが、私がブッダガヤに居る時期には、大変寒い時期が数ヶ月あります。現地の人は冷え切った体を暖めるために、至る所で日向ぼっこをしており、私自身も毎日のように日向に出て体を温めます。冷え切った体に太陽の日差しをいっぱい浴びると、体が温まり、固まった体がほぐされ元気をもらえると共に、心も温まります。
また、この時期は雨がほぼ降らないので、砂埃が舞い上がり空気がくすんだ状態になります。それがフィルター代わりとなって、朝日や夕日の真っ赤で大きな丸い輪郭を、くっきり綺麗に見ることができ、その存在感や綺麗さに圧倒されます。
植物に太陽が重要なように、人間にも太陽はなくてはならないものなんだと日々実感します。
月に関しても、インドでは、お祭りやお参りをする日を月の満ち欠けで選び、満月の日は特にパワーが貰える日として重要視されています。
外灯がちゃんとあり明るい日本では、月の明るさを意識することはあまりないですが、夜が暗いブッダガヤでは、月の満ち欠けによって夜の明るさが全然違うことに気づきます。新月の時には月の光がなく暗い夜が、月が大きくなるにつれて、日に日に明るい夜に変わっていき、満月の日には、こんなに月は明るいのか?と驚くほど明るくなります。特に満月の時のマハボディーテンプルは、何ともいいがたい雰囲気になり、パワーがもらえるということを納得すると共に、お釈迦さまもこの満月の下、悟りを開かれたと思うと、約2500年経った今でも同じ月の姿を見ることができることに感動を覚えます。
日本とブッダガヤを往復する中で、日本と比べると不便なブッダガヤ生活ですが、太陽や月という大きな存在を、そして自然の中で生活しているのだという当たり前のことを強く感じています。
安養寺 清 水 良 将
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