私事ではありますが、数日前に三男が無事誕生しました。
日本では少子化問題がとりただされており、一人の女性が生涯で出産する子供の平均が1.39人と年々減少しているなかで、子供が3人生まれたことは、少しは国の少子化対策に貢献できていると自己満足しております。
妊娠中からたくさんの方に、「三人目だから慣れているでしょ」と言われました。確かに一人目が生まれる時の何もわからない状態とは違い、ある程度勝手がわかっているから慣れていると思っていましたが、いざ数年ぶりに赤ちゃんを抱くと、すべてが小さく、体重も軽く、首が座っていないので不安定な頭に戸惑いました。けれども、生まれて数時間でお腹が空けば泣いてお母さんを呼び、息をして、時折くしゃみをする姿を見ると小さくても言葉がしゃべれなくても当たり前ですが一人の人間なのだと実感しました。
余談ですが、インドと日本で違う赤ちゃん事情として、インドでは生まれるまで子供の性別を医師は教えてくれません。なぜかというと女の子が生まれるとわかった時点で子供を堕ろす人が多いからです。生まれた後に女の子だったら、病院の窓から子供を捨てたという事例もあります。
その背景には、インドの結婚事情があります。基本的にお見合い結婚のインドでは女性側が、男性側から言われる結納金を納めた上、生活用品等をすべて揃える風習が根強く残っています。したがって、女の子が2人生まれると家が潰れるとまで言われています。
その他に、インド独特の子育てとして赤ちゃんの目の周りを、毎日炭を塗って黒くします。魔除けのためと、将来目が大きくなるため、黒目が綺麗になるようにと言われています。日本で炭を子供の目の周りに塗ったら汚いなどと言われそうですが。
話を戻しますが、3人目の妊娠から出産までを改めて振り返ると、一人目の時と感じること・考えることが変わっていました。一人目の時は、手探りで本に書いてあることを実践したり、人に聞いたりとバタバタして出産を終えましたが、今回は様々なことを考える余裕がありました。その中でも、子供がお腹で大きくなっていく姿、エコーで顔を見ていると、お腹の中でも人間として姿や意志が育っていくことが不思議に感じました。ある程度、遺伝子などが解明されて、体が出来ていく課程はわかっているかもしれませんが、それでもまだまだ未解明な部分も多いはずです。まさに人体の神秘です。そう考えていて、ふと「子供を授かる」という言葉が浮かんできました。
最近だと、「子供ができた。できない」という会話を良く耳にしますが、私の印象では一昔前は「子供を授かった」と言っていた覚えがあります。「授かる」を辞書で調べると「神仏や目上の人などから、お金では買えない大切なものを与えられる。いただく」と出てきます。
「できた」と聞くと、自分達夫婦で作った様に私は感じます。けれども、実際には子供ができるまでに先祖のつながりはもちろん、私たちでは想像もつかない、解明できないことが重なり、そして目に見えない働きにより、今回元気な三男が生まれきたのだと実感しました。まさに、「授かった」という気持ちになりました。
時にはイライラし、子供の行動に耐えきれず怒ったりすることもありますが、3人の子供を授かった側、お金では買えない大切なものをいただいた側として、しっかり子育てをしていこうと思います。
安養寺 清 水 良 将
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