三島の町も各町内ごとから「しゃぎり」の音が聞こえてくると、「三嶋大社のお祭り」に向けて血が騒ぎ出す人も多いと思う。
ところでただ「まつり」というと、古典では京都賀茂神社の「葵祭」のことを指すのであるが、「まつり」を辞書をひいてみると、
神仏をまつること。神仏・祖霊などに奉仕して慰撫・鎮魂したり
感謝・祈願するための儀式。祭儀。祭祀。祭礼。
とあり、宗教的な儀式を指す言葉である。各地にそれぞれの「まつり」があり、伝統に裏付けされた宗教行為であればこそ、子どもから年寄りまで組み込まれたDNAが騒ぎ出すのであろう。
ところで「港まつり」「蛍まつり」とか「陶器まつり」と、宗教的色彩を持たない「まつり」が言われるようになったが、それは戦後のことであろうか。辞書的には「記念・祝賀・宣伝などのために行なう集団的行事」ということになるが、いわゆるイベントのことを「まつり」というのである。
戦後、行政は宗教との関係を嫌い、「祭ること」は避けるのである。河川の改修工事などで塚や供養塔などの移転がおこなわれると、必ず供養祭が営まれるが、行政は関わろうとしない。当然政教分離のためであろうが、現場に立つ人々にはたとえ動物の供養塔であれ、供養ぜずに工事に取りかかることはない。かならず建設業者によって、僧侶や神官が招来され供養祭がおこなわれるのであるが、おおかた国交省や土木事務所の参列はない。業者^が勝手にやっているという位置付けであろう。
何年前であろうか、施設の立て替えで家畜保健所内にある動物供養塔の移転があったが、いわゆる建設業者主催の供養祭がおこなわれ、拙僧が供養を務めさせていただいた。保健所の職員も焼香に訪れてくれたのが、嬉しかった思い出がある。こうした供養祭を何度か務めたが、この時が最初で最後であった。
駅を始め「三島夏まつり」のポスターが貼られているが、市民はみな「大社のおまつり」と思っているであろう。「三島夏まつり」に出かけて、三嶋大社にお参りしない人はいないからである。「三嶋大社夏まつり」では、やはりいけないのであろうか。
ちなみに、「三島夏フェスティバル」は感心できない。「フェスティバル」もまた宗教的な意味合いが多いようである。
【しゃ‐ぎり】
(1)狂言で、笛だけの演奏。めでたく、にぎやかな雰囲気を作る効果が
ある。これで一曲が終わるのを「しゃぎりどめ」という。しゃぎりぶえ。
(2)民俗芸能や祭礼などの練物(ねりもの)の行列の途中で、笛に太
鼓・鉦(かね)をまじえて奏する囃子(はやし)。
(3)歌舞伎の囃子の一つ。太鼓・大太鼓・能管によって、一幕の終わる
ごとに奏される囃子。最終幕の大切(おおぎり)には打たない。
(4)寄席で、一番の次にいれる太鼓をいう。
(5)(陽気にはやすところから)おだてること。はやしたてること。
(6)(芝居の「幕切れ」「打出し」から転じて)終わること。うちどめ。
【イベント】
({英}event )《イヴェント・エベント》
(1)出来事。行事。展覧会、コンサート、見本市などの各種の催し物、
また、大きな事件などを広く含めていう。「イベントの企画立案」
(2)運動・競技の種目。一試合。(勝負の)一回、一番。「本日のメイン‐
イベント」
【フェスティバル】
({英}festival )《フェスティヴァル》
祭。祝祭。祭典。多く催し物の名称の一部として用いられる。
〔外来語辞典{1914}〈勝屋英造〉〕
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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