先般、念願であった京都嵯峨野の二尊院にお参りをさせていただいた。宗祇法師から「古今伝授」を受け、室町時代の国文学者で源氏物語の継承に尽力された三条西実隆のお墓があるからである。
二尊院はその名の通り、阿弥陀如来と釈迦如来の二尊を本尊としておまつりしている。釈迦如来は人間の死出の旅路に西方浄土への往生を勧めてくださる「発遣の釈迦」で、阿弥陀如来は極楽浄土より迎えてくださる「来迎の弥陀」といわれる。典型的な浄土教の寺院であり、法然上人の霊場ともなっている。
この二尊院は摂関家の菩提寺でもあり、「二条家」「鷹司家」「三条家」「四条家」「三条西家」の公家方の墓所がある。大正大学本源氏物語は黒漆塗りの専用箪笥に収められているが、その箱の題字を書いた角倉素庵の墓所もある。
また山中には藤原定家が百人一首を選定した「時雨亭(しぐれてい)」の跡があり、その由緒にいささかの緊張感をおぼえ、まさしく信仰と文芸のお寺の参詣となった。
浄土宗の僧侶として仏事を務め、大学では学生とともに源氏物語を講読する私にとっては、この二尊院は聖地ともいえよう。
こきん‐でんじゅ 【古今伝授】
「古今集」の難解な歌や語句についての解説を秘伝として、師から弟子へ、また親から子へ伝え授けること。すでに平安末期から鎌倉時代にかけて六条家や御子左家(二条家)などで訓釈についての異説がそれぞれ伝えられていたが、室町時代にはいって形式的にも整えられて本格化し、頓阿、東常縁(とうのつねより)、宗祇、三条西実隆、細川幽斎などと二条家の説をついだ二条家伝授が権威を持って伝えられていった。このほかにも宗祇から肖柏に伝えられた堺伝授、肖柏から林宗二に伝えられた奈良伝授、幽斎から智仁親王に伝えられた御所伝授などが有名。
すみのくら‐そあん 【角倉素庵】
江戸初期の貿易家、朱子学者。通称与一。名は玄之(はるゆき)。角倉了以の長子。富士川再疎通、淀川の改修など、幕府の土木・河川の仕事に功績があった。また、安南(ベトナム)貿易にも従事した。能書家で洛下の三筆といわれ、角倉流を創始した。本阿彌光悦とともに刊行した嵯峨本は有名。元亀2年〜寛永9年(1571〜1632)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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