新年あけましておめでとうございます。皆さまのご多幸を祈念申しあげます。
年賀状では、例年のごとく三条西実隆の日記『実隆公記』永正9年(1512)のお正月の賀詞から、「四海昇平之春、幸甚々々」を拝借いたしました。
「四海」は世の中、世界の意味で、「昇平」は平和でよく治まっていることをいいます。応仁の乱は終わったとはいえ、群雄割拠の世相に変わりはなく、無事お正月を迎えられますことは何物にも変えがたい喜びであり、今年1年間の平穏を願う気持は相当なものであったと思います。
ところでネット社会となりますと、急速に年賀状の減少が始まりました。今年用の年賀状発行は33億枚余り、昨年が35億枚、ピーク時は平成15年の44億枚ですので減少の一途をたどっております。時代の変化と言ってしまえばそれまででしょうが、若干の寂しさを感じます。
各郵便局ではそのノルマの達成に苦労しているようで、拙寺にも郵便局からの複数のセールスがあります。ネットでは、自爆営業もおこなわれているとか。
私もそろそろ年賀状を止めようと思ったことがあます。その理由は大方の人たちと同じであろう。しかし、自分でできる限りは出し続けることとした。年末に喪中の案内をいただき年賀状リストの整理をするが、新しく加える人もいるが、削除する人もいます。何十年も会ったことがなく、年賀状だけのやり取りとなってしまった人もいるが、年賀状をいただくことは互いに無事に生活している証となっているようにも思われるからです。
年賀状を始め、新年の支度と、すこし大袈裟ですが拙寺の昔からの取り決め、我が家のしきたりに違うことなくおこなう再確認を致しました。
暮れの新年の支度が、今年は何か楽しく感じられました。
【応仁の乱】おうにんのらん
応仁元年〜文明9年(1467〜1477)、細川勝元と山名宗全の対立に将軍継嗣問題や畠山・斯波(しば)両家の家督争いが絡んで争われた内乱。戦いは京都で始まり、のち諸国の大名・小名が勝元(東軍)・宗全(西軍)のいずれかに加わり、全国的規模に発展した。京都は戦乱のため荒れ果て、将軍の権威は失墜した。(デジタル大辞泉)
【自爆営業】じばくえいぎょう
日本の郵便局では社員が自爆営業を行わざるを得なくなっており、社員一人当たりに年賀状のはがきを一万枚売り上げるという目標が定められているが、多くの社員はこの目標を達成することができずに、金券ショップに転売して自身が売りさばいたということにしている。金券ショップに売る場合には定価よりも安い買取価格であることに加えて、首都圏などの高価で買い取ってもらえる店までの交通費も払わないといけないということから、社員には数万円の負担が強いられている。この一人当たり一万枚を売り上げるという目標は社員の大部分が達成できていることになっているが、その実は社員が自腹を切っているがゆえのことである。(ウィキペディア)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
|