私は日本で生まれながらアメリカンスクールで教育を受け、問題を抱え高校を退学、18才の時に施設に入りました。それ以降ソーバー(しらふ)な生き方と、無宗教ながらも自分の理解する「神」の意志に自分を合わせて生きよう(仏教風に言うと、帰依しよう?)と、しどろもどろ、ドタバタと迷いながら、そしてたくさん間違えながら、そして何よりたくさんたくさん助けられながら生かされてきた29歳、「きょうこ」といいます。
大学さえろくに出ていない、どこの宗教に属するでもない、いままでやってきていたNPOの仕事も辞め、「自分の最大の活かし方」を探し求めた結果、役に立つであろう資格を取るために学生に戻り、結果経済的に支えてもらっているのです。
こんな情けない私がメルマガの執筆を引き受けて、「読んでよかった」と思えるような文章をかけるのか?そう考えるとお受けすることがおこがましく思えて、気が引けて仕方がなかった。そして、これは私がいつも起こす「間違い」に気がつかされたのです。
誰かのためにもなりたいのはもちろんだけれど、人によく思われたいとか、認めてもらいたいというような見栄の気持ち、がっかりさせたくない失敗したくない、いつでもどこでも問題を解決して「人のためになりたーい!」って意気込む。しかし、失敗して「私なんか!」となる。
きっと私はこれからも人を傷つけてしまったり、がっかりさせてしまったり、失望させてしまったり、エゴが出てきて、見栄が出てきて、恐れが出てきて、意気込んで…、きっと「間違える」であろう。
でも「迷った」私は、もう迷わない。一つ一つ真剣に取り組んで、「心配してくれてありがとう。また間違えるかもしれないけどやってみるよ」と向き合うことはきっとできる。向き合ってみて、精一杯やってみた結果、間違えたり、恥をかいたり、何かを失ったり、なにかしらうまくいかなかったとしても。
学校に戻ると決めたこと、全てを変えてアメリカに移った決断、そしてメールマガジンに書かせていただくこと、いただいたご縁に向き合って、できるだけ謙虚に、そして真剣にチャレンジさせていただきます。
以前、一番「有効的な自分の使い方」を見つけるため世界のいろんなNPOさんなどにお世話になった時の経験、日本で働かせてもらっていた時の思い、いわゆる「回復者」としての視点など、間違いだらけの私がこれから1ヶ月に1回、稚拙ながらも文章を書かせてもらうことにより、皆さまと関われ、自分を振り返られる機会をいただいたことを嬉しく思います。
文章とともに、テーマに沿ってたり、沿ってなかったりの写真を載せさせてもらおうと思います。
文章と写真ともども、どうぞよろしくお願いいたします。
きょうこ
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