2年間にわたって願成寺メールマガジンを執筆して下さった清水良將上人の、神戸のお寺安養寺さんのご本堂が落慶されたので、執筆のお礼かたがたお参りをさせていただいた。
平成7年1月17日阪神淡路大震災が発生した。マグニチュード7.3、震度7の激震が襲い、ビルの倒壊、大規模火災の発生により、死者6,434名、行方不明者3名の大災害となった。その中心地にあった安養寺さんも、全壊をまぬがれることはできなかった。
初めて新神戸駅に降り立った。山の手にある駅ビルからは、神戸市街地のビル群が一望でき、さすが大都会という眺望である。そこにはまったくといって良いほど、震災の面影はなく、案内された神戸港の象徴である「神戸ポートタワー」周辺では、港町を散策する観光客で溢れていた。この神戸が壊滅的な被害を受けたと、だれが想像できようか。
しかし、震災の風化を防ぐための努力は、いたるところで感じた。あらゆる施設が、異人館街など観光地も震災当時のパネルを展示している。時として観光から震災、そして東日本大震災での大津波、今まさしく災害の真ったなかにあるネパールの大地震で阪神淡路大震災に匹敵する死者が出ていることを思うと、動揺を禁じ得ないものがある。
安養寺さんに到着するや、早速に本堂でお参りをさせていただく。清水上人がメルマガでしばしば建設の様子を書いておられたので、興味深い。厳選された柱、乾燥に1年かけた土壁と身近に感じられるのが不思議である。本格的な耐震木造建築の建物一つひとつに、ご住職とお檀家さんの「思い」が感じられる。
耐震のために、本瓦葺きの重量に耐えるために、二重の柱が設けられている。外側は角柱、内側には1尺5寸の丸柱である。ふと触れると、柱に大工さん達の意気込みを感じた。大方の丸柱は、大型木工旋盤で丸くされるのであるが、この柱は、手作業で丸くされた柱である。
その作業は、角柱の四角を切り落とし8角形に、さらに16角形と角を削り落とすことを繰り返し丸くしていくのである。旋盤の丸柱はほんとうに丸いのであるが、大工さんが手作業で丸くした柱は触るとわずかな凹凸があり、人間味を感じるのである。
こうして4年の歳月をかけて再建された安養寺さんの本堂には、「人々の思い」がいっぱいである。震災で亡くなり20年後に初めての本堂で供養された人々、また供養するご遺族、新本堂を見ることなく浄土に旅たたれた人たち、建設に携わった人々、震災を知らない子供たちの思いが、そこにはあるのである。
そしてこれから何百年も継承されていく本堂の出発に、立ち会わせていただいた仏縁を大切にしたい。
お寺や神社の地震や台風などの災害からの復興は、そのお檀家さんが被災していることから、まずお檀家さんの復興、地域社会の復興が済んでからのことである。やはり20年の歳月が必要とされる。
新本堂の裏手に残っている20年間の勤めを終えたプレハブの仮本堂も、立派に見えた。
【阪神淡路大震災】
平成7年(1995年)1月17日05時46分、淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ16キロメートルを震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。この地震により、神戸と洲本で震度6を観測したほか、東北地方南部から九州地方にかけての広い範囲で有感となりました。さらに、気象庁の地震機動観測班の現地調査によって、神戸市や淡路島の一部地域では震度7に相当する揺れが発生していたことが判明しました。
総務省消防庁の統計によると、この地震による被害は、死者6,434名、行方不明3名、負傷者43,792名、住家全壊104,906棟、住家半壊144,274棟、全半焼7,132棟にのぼりました。
気象庁「阪神・淡路大震災から20年」特設サイトより
【神戸ポートタワー】
この「神戸ポートタワー」は被災をまぬがれ、震災から28日後のバレンタインデーには「神戸を元気づけよう」と、赤色のライトアップを再開したことでも知られている。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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