毎年5月30日は、拙寺でも「おせがき」法要がおこなわれます。
その由来は、『救抜焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)』というお経によるといわれています。
それによると、釈尊の十大弟子の一人である 、阿難尊者(あなんそんじゃ)が、ひとりで瞑想している時、口から火を吐く一人の恐ろしい餓鬼があらわれ、「お前は3日後に死んで、我々と同じ恐ろしい餓鬼道に落ちる。」と言いました。恐れおののいた阿難尊者が、どうしたらそれを免れることができるかを釈尊に尋ねたところ、釈尊は、「その苦から免れたければ、三宝(仏・法・僧)に供養しなさい。また無数の餓鬼たちに食物をほどこして供養した功徳により、餓鬼も救われ、その功徳によってお前も救われるだろう。」と答え、姿を消しました。
施餓鬼会(せがきえ)は、釈尊に教えを請い、寿命を延ばすことのできた阿難(あなん)の説話にもとづく行事であり、その求めに応じて釈尊が示された修法が施餓鬼会のはじまりとされています。
そして餓鬼だけでなく、先祖代々や広く無縁の諸精霊(しょしょうれい)を供養し、また同時にみなさん自身の福徳延寿(ふくとくえんじゅ)を願うわけです。
ぜひこの施餓鬼会の機会に、心からお念仏を称え、自他ともに救われる功徳を積んでいただきたいものです。
施餓鬼会は、新亡の霊や先祖代々の諸霊を供養するとともに、無縁仏や餓鬼に施しをする法要でありますが、さらに日頃の自分自身に巣くう「餓鬼」の心を反省し、自他ともに生かされている身をしっかり受け止め、救われる功徳をお互いに積んでいくことが大切なことであります。(浄土宗HP仏事まめ知識)
本山で修行しておりますと、毎食事ごとに餓鬼供養をいたします。食事はすべて丼飯でお替わりはありません。無論修行中ですので間食などあるはずもなく、もう少し盛よくしてもらいたいと思うのですが。蓋を取り、自分のご飯を一口蓋の上に置きます。まず自らの食事を取り分けて餓鬼に施しをするのです。すべて食べ終わりましたならば、餓鬼に取り分けたご飯をどんぶりに戻し食べるのです。
調理するときには、何でもひとつ余計に作ります。調理人が味見をするのではなく、餓鬼の分を用意するのです。たとえば仏さまにあげるお団子は、20個をピラミットのように積み上げますが、やはり1つ余計に作り、積み上げたお団子の脇に添えるのも餓鬼のためです。餓鬼のための食べ物が「盛こぼし」といい、お寺に嫁ぐと最初に教わる作法であります。
最近は業者の作ったお団子が多くなり、餓鬼のためのお団子が見当たりません。「施餓鬼」の心が薄れてしまったのが残念です。
ところで居酒屋で枡にグラスを置いて瓶からお酒を注ぐとき、グラスから溢れ枡にもお酒が入ります。多く溢れさせてくれると「盛こぼし」が多くて良い店だなどいいますが、「盛こぼし」本来の意味も知っていただきたいものです。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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