10月に入ってニューヨークはすっかり秋。10℃を切ることもしばしばで、寒いのが苦手な私は、学校がなければすぐにでも南半球に飛んで行きたいところだ。去年の10月、アフリカ大陸で1番高い山のあるタンザニアに行った。
キリマンジャロを登るにはちょっと時間が足りず、山登りはしない予定だったのだが、キリマンジャロの向かいにあるメルという山は、1,000mほどしか違わないうえ、景色はキリよりよく、半分くらいの時間でできると言われ、行き当たりばったりで4,560mのアフリカ大陸4番目に高い山に登ることを決めた。
登山ギアなんて何も持ってきてない私は、全てを友人の母がやっているツアー会社から借り、メル山があるアルーシャ国立公園へと向かう。
ちょうどその頃、私は仕事を辞め、自分の役割を、もっと全うできる資格を取るため学校に戻るかどうか悩んでいるところだった。私にそんな力はあるだろうか?終わらせられるだろうか?行ってみて無理ってなったらどうしよう?そんな不安がすごく取り巻くなか、いきなり4,000m級の山登りを借りたギアで決意する行動と、高校をオンラインで卒業した私が、とんでもなく向いてないんじゃないかと思う理系の大学を目指すことと重なった。
出発当日まで、不安がいっぱいで、歩き始めても「すぐに引き返せるところまでしか行かない方がいいんじゃないか」とかばかり考えていた。メルの登山は初日の日、お昼くらいに歩き出し、キリンさんやイボイノシシさんの間を通り2,000mくらいの第1キャンプに泊まる。2日目の午後には第2キャンプに付き、荷物を降ろし、体力があったら高度慣れするためにも「リトルメル」と呼ばれるキャンプからみてビッグメルの山頂の反対側にあるピークに登る。そして後すぐに寝て、夜中に起きて3日目の朝には登頂する、というのがスタンダードなコースなのだが、私は体力があるかどうか不安で、第2キャンプに着くまでリトルメルに行くかどうか悩んでいた。
キャンプについて荷物を置き、一休みしていたらガハハ、と大きな笑い声と英語が聞こえた。外に出てみたらおばあちゃん2人が、ビッグメルから登頂して帰ってきたところだった。2人も70歳を超えていて、スタンダードタイムで登頂ができなかった、と明るく話す。「自分の時間で登れたら、それでいいの。素敵な景色が待ってるわ」と。とてもオープンに笑う2人に安心をもらい、行くべきかどうか相談してみたら、「なぜ、明日行けるかもしれないピークのために、今目の前にあるピークを諦める必要があるの?目の前にあることに全力を尽くしなさい」と言われ、急に肝が据わった。
リトルメルも無事登頂し、夜中、サミットに向かい歩き出した。真っ暗の中、見えるのはヘッドランプの照らす先と、大きな山頂のシルエットが星に散りばめられた濃い紫の空に、ドン。ライトの届く数メートル先までぼんやり明るく、土中の鉱物が私の行き先をキラキラ照らす。まだ風もなく、聞こえるのはザクザクと歩く自分の足音と、薄くなっていく空気を必死で吸おうと荒くなっていく自分の呼吸。登山は瞑想とすごく似ている。そして辛くなっていけばいくほど、私は別に不安がないことにびっくりしていく。気づいたのが、私は「積み重ねていけば、成せる」という事実を身を以て知っている、ということ。「辛い、苦しい、難しい」と「できない」は別物だということ。そして、そうやって自分を信じられるという事は、今まで沢山の人に信じてもらったり、数え切れないサポートを今まで頂いてきたという事。ありがたすぎて、登頂最後の2時間は涙が止まらなかった。一歩一歩苦しい、ありがとう、できる、と歩いた。
高山病がひどくなり私もスタンダードタイムでは登りきれず、登頂できたのはご来光のだいぶ後だった。でも途中の見晴らしのいい場所から見た日の出は言葉じゃ表せない美しさだったし、あの気のいいおばあちゃん達の言った通り、自分の時間で登りきれた私には最高の景色が待っていた。
勉強も、ボランティアも実は結構最近大変で、今世界のニュースを見ていて難民の人たちの感じている苦しみを考えると本当に悔しくて苦しくてやりきれない。それでも、辛い、苦しい、難しいは、できないとは違うのだ。今日も一歩ずつ。できる事をしっかりと。
きょうこ
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