みなさま、明けましておめでとうございます。どんな年越しをお過ごしだったでしょうか?
私は、12月は世界のどこにいたとしても、「除夜の鐘がなる時に一緒にいなかったら家族から除名する」と脅しがかかっているので、大抵の年末は家族で過ごすために日本に帰っている。といっても、12月31日の夜9時着の便だったり、30日に帰ってきてそのまま20時間以上爆睡して寝過ごしそうになったり、ギリギリなことも多いが、年末は毎年恒例、かわいい姪っ子ちゃんに「インド臭い」やら「色が黒い」等と蔑まれながらも、美味しいご飯を食べさせてもらったり、久々に暖かいお風呂に入ったり、日本を満喫し新しい一年を迎える準備をする。
それに引き換え、クリスマスはほぼ毎年別の場所で過ごしている。インドのマザーハウスで演劇に参加していたり、ウェストバンク自治区のベツレヘムでイブを過ごした後イスラエルでハヌカを祝ったり、はたまたインドで子供達の劇の裏方に回った後、ラマダンの終わりを祝う宴で出される歯が痛くなるのど甘いお菓子を食べさせてもらったり。同じ時期でも、祝うものと祝い方がまったく異なっていている。
年越前夜におそばを、元旦は家族でおせちを食べ、子供達にお年玉をあげる、というのが日本のベージックな正月の過ごし方だが、御節料理の内容がおめで「たい」から鯛だったり、よろ「こぶ」から昆布だったり、と結構ダジャレめいた語呂合わせが由来だったと知ってびっくりしたものだ。
アメリカでは、「家族でご馳走を食べ、子供にプレゼントをする」のはクリスマスですることだ。定番料理はハム、七面鳥、マッシュポテト、エッグノッグという卵、牛乳とラムかウイスキーで作ったこってりドリンク、フルーツケーキなど。暖炉の上に飾った靴下に入れられるのは、昔はいい子にはおもちゃ、悪い子にはなんとサンタは炭をぶっこんでくるという話だったのだが、さすがに炭はちょっと…、ということなのか、最近はすっかりプレゼントだけだ。キリスト教徒たちは、通っている教会のみんなで長いミサに出て、聖歌隊の美しい歌を聴く。インドのマザーハウスでも、この日ばかりは普段厳しいシスターも歌って踊って、キリストの誕生を喜んだ。
ハヌカはユダヤ教の式典で、ユダヤ歴で数えるため毎年ズレるも、11月から12月の間の八日間で行われる。マカビア戦争でギリシャ人達からエルサレムを奪還したお祝いで、神殿を清めた際に灯した聖油が一日分しかなかったのにもかかわらず八日間燃え続けたことにちなみ、真ん中に一本と八つに枝分かれしたマノラというキャンドル立てに毎夜一本ずつ蝋燭を足す。初夜にこれでもかとご馳走を食べ、デザートにはスフガニーヤという揚げドーナツ。イスラエル人の友人によると、「ユダヤの式典は大抵『駆逐されそうになった、生き延びた、食って祝おう』なのだから、食べてなんぼだよ」と言われたので、調子に乗って彼のおばあちゃんの作った美味すぎるドーナツを、なんとハヌカの八日間にちなんで8つ食べ、お腹が裂ける思いをした。
余談なのだが、多くの人が小学校で習った「マイム・マイム」も実はユダヤの歌で、厳しい環境の中イスラエルの再開拓を始めた頃、渇きで死にそうな時、「マイム」(ヘブライ語で水)を掘り当てたことを喜んで踊った歌なのである。
対照的にイスラムのラマダンも同じ時期ながら、日の出ている間飲まず食わずいることにより、貧困で苦しむ人に心を寄せるという意味や、「食べる」という絶対的な行為を神様に捧げる、という意味などがある。しかしお腹の減る昼寝て、夜起き好きなだけ食べるという人も少なくない。ラマダン明けのEid-Al-Fitrの宴では、家族だけでなく、ホームレスや周りの誰にでも料理を振る舞う習慣がある。
こうやって、様々な場所や宗教では同じ時期にいろんな祝い方をしているのに、色々(特に食べる所)参加できた私は本当にラッキーだ。だけれど、一番ラッキーなのは、食べること、食べないこと、お水を飲めること、家族と過ごせること、お風呂に入れること、歌って踊れること、誰かにシェアして喜んでもらえること、そしてなにより生きること。私たちの日常の、上げればキリのない数のことが、歌って踊って祝うべきことで、喜ぶべきことであることをしっかり教えてもらった。そして、祝いことでも食べ過ぎは良くないこと!次にスフガニーヤを食べる時は3つくらいまでにしておこうと思う。みなさん、お餅もほどほどに!
きょうこ
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