暖冬だと思い油断していたら、いきなりマイナス10度やら15度やらのひどい寒波のNY。死ぬかと思っていたが、ちょうど去年から予定していたバルバドスへの旅が今週で、今は常夏の島からこれを書いている。
私は人が好きなので、行く先行く先で誰かに話しかけてしまう。今日も、屋台でドリンク飲むだけのつもりが、最後にはお店の子達みんなとレゲエダンスする始末だった。日本人であることをいうと大抵びっくりされる。「日本人らしくない!」と。
以前、こんなジョークを聞いたことがある。世界中の客を乗せた豪華客船が事故に遭い、沈んでしまうことがわかった。しかし救命ボートが足りず、女性と子供を乗せただけでいっぱいになってしまい、キャプテンは男性客には飛び込んでもらうため、それぞれの国の特性に合ったいい方で説得に回った。
アメリカ人には「ヒーローになれます。」
イタリア人には「女性にモテますよ!」
フランス人には「飛び込まないでください!」
ドイツ人には「規則によると、男性には飛び込んで もらうこととなってます。」
日本人には「みんなやってますよ!」
ステレオタイプがそのまんまのジョークなのだが、多国籍な友人にこのジョークをいうと、みんなそれぞれ「私の国の人ならこういえばいい」と自国のステレオタイプをシェアしてくれる。
そこで思い出したのが、PTSD専門のセラピストで世界中を回っている方から聞いたのだが、国によってポピュラーな病が違うという事。日本は神経症など、社会性の中で出てくる病が多いのに比べて、アメリカではセルフイメージをベースとした病(拒食症や過食症など)が多いと彼女はいう。
もちろん、国の置かれている状況により一定の病がトレンドするのはわかるが、私は国によって特定の病気が多かったり少なかったりするよりも、国によって何が「普通」(ステレオタイプ)で、何が「病的」とされるかが違うのも関連していると思う。
私は4人兄弟の末で、上の3人に比べて落ち着きがなく、手のかかる子だった。心根は優しかったらしいのだが、とにかく「問題児」だった。おとなしく座ってられず、集中力も散漫で、今でいうADHD(注意欠陥多動性障害)だろう。日本の学校には大抵馴染めないだろうと、そして私のダイナミックさや、優しさまでもが、日本でのステレオタイプの足りなさに覆いかぶされ、見当たらなくなってしまう事を懸念した母が、私をアメリカンスクールに入れるべく、動いてくれたのだ。
国籍や性別、年代や職種、それぞれが「らしさ」のステレオタイプを持ち、自分のどの部分「らしさ」を優先するかなんて、自分以外の誰も決められないし、自分でもきっと決められないものなのではないかと思う。すべての役割や区分を全部をそれぞれの重さで抱えている自分、それ以上でもそれ以下でもいられないなら、それ以上「らしく」も「らしくなく」もできない。
女性らしさも、日本人らしさも、30代らしさも、今となっては学生らしさもきっとそれぞれ日本の感覚では欠けていたり「普通ではない」ところがたくさんある。そしてそのミックスが実に私「らしい」のではないだろうか。
私たちがそれぞれの「らしさ」を許せ、そして許せた上で各々の役割で伸びていける努力ができたら、きっと「病気」と呼ばれるものはぐんと減るんじゃないかなと思う。私らしい日本人らしさを見つけていきたいし、私らしい女性も追求していく。生徒であること、娘であること、すべてをステレオタイプ以上の「私」が全力で世界に向かっていけたらよい。
きょうこ
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