先日、ずっと憧れていながら毎回何かアクシデントが起き未だに行けていないワイオミング州にあるイエローストーン国立公園のビデオを見ていた。70年、以上前に敷地内から消えてしまった狼たちを、少数だけれど連れてきて放した結果起きたビデオクリップだった。狼の消えたことによって起きた鹿の飛躍的な増加により、公園全体の緑が激減していたのが、鹿の頭数が減るだけで草原に緑が戻った。場所によっては木々が6年で緑が5倍の高さになった。緑が戻ったおかげで鳥が戻ってきて、ビーバーが戻ってきて、ビーバーが作るダムのおかげで魚も増え…。という具合で、川の反乱や、川の流れさえ安定化させた、というビデオだった。最初は増えすぎた鹿に対しての対策だったものが、全体の緑の、エコシステム全体の、川の流れの、公園全体に大きな変化をもたらせた。
これを見て、去年日本で見たドキュメンタリーを思い出した。サハラ沙漠の遊牧民トゥアレグ族出身で、リビアでレジスタンス兵士として訓練されたが、武器を棄て、音楽をレジスタンスの手段として手に取った男性のドキュメンタリーだった。上映会は、サハラ地帯での反政府抵抗運動に詳しいジャーナリストのトークを含めたもので、私のお気に入りのインディペンデント・シアターで行っていた。
私はマリ、アルジェリア、ナイジェールなどで起こっている紛争について、存在は知っていたものの詳しくは知らなかったため、ぜひもっと知りたい、という気持ちだった。
ドキュメンタリーでは、トゥアレグ族などを始め、サハラ地区の遊牧民たちは「国境」や「国民制度」の誕生により自由に行き来ができなくなり、何百年も前から続いているスパイスや塩のトレードや、オアシスをたどっての生き方ができなくなり苦しんでいること。ナイジェールやアルジェリアが原発などに使われる大量のウランの発掘池、(ナイジェールにおいては世界4位、アフリカで一位)であり、元植民地化していたフランスの工場などが、生産された際に出る汚染されたゴミをそのまま土地に流し込んでいるため、その土地の草や水を飲んで育った家畜たちがひどい変異を持って生まれてきていることや、「できもの」に悩まされている、という事もレポートされていた。
その後のトークで聞いたことで一番ショックだったことが、そのウランの大手輸入先が日本で、東北大震災以来、輸入が大きく減り、このままいけば反対運動関係なしに生産効率が落ちすぎて閉鎖になるだろう、ということだった。びっくりした。なぜ、私は世界で起きていることがまるで自分に無関係で、遠い国の中で収まる問題だと一瞬でも思っていたんだろうと、恥ずかしくなった。「バタフライエフェクト」というように、いつかは全てが繋がっているというような曖昧なものでなくて、世界は、間接的にだけでなく直接的に繋がっているのだ。
狼が川の流れを変えるように、西アフリカの戦争に引き裂かれた国の大きな問題の一つが、日本の原発と直結している。教育制度の問題は貧困と間違いなく繋がっているし、女性権利と経済は引き離せないし、動物愛護と環境問題も同じく。「あっちの問題」や「関係ない」なんてものは、存在しない。この世の中に独立した問題なんて何ひとつだってないのだ。私たちはヒューマニティーの糸でみんな繋がっているからだ。
こんなに問題に溢れていることも、ふと、とても哀しくなることもある。でも悲しいことに対し、涙できなくなることの方が恐ろしい。生きることってどこかに哀しみを帯びているかもしれないけれど、抱えきれないほどの美しいものと、感謝すべきものと、祝うべきことでも間違いなく溢れている。だったら、その「善」の一部でありたいと思うし、その「善」を心の底から信じられることを本当に幸せに思う。
お腹が空いた誰かに少しでいいから食べ物をあげたり。寒空で凍えている路上生活者に暖かいドリンクを買ったり。動物を保護したり。むかつく、攻撃してくるような人にさえ配慮を示したり。ゴミを拾ったり。アホみたいにリサイクルしまくったり。世界を笑顔で迎えたり。ハグしたり。
ヒューマニティーの一部であることにより、今日も私はマリの藍色に染められた衣装で踊る遊牧民に対しても、イエローストーンのビーバー君に対しても繋がっている「ヒューマン」で居られる。こんな多くのものと繋がれるなんて、なんて幸せで、なんて贅沢なんだろう。
きょうこ
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