2ヶ月ぶりの投稿になるこの原稿は、エクアドルの被災地で書き上げ、今からペルーの飛行場で送付している。怒涛の2ヶ月だった。なにより、学校が大変で大変でたまらなかった。4月の投稿はまさに修羅場の真っ最中で、「胸を張れる失敗」について書いた。なにしろ、頑張っても頑張ってもできないことがあるという現実を、心を折らずに受け止めることに必死だった。ついでにプライベートでも、 「これも?!」とたまに笑っちゃうくらい同時にいろいろ起こり、数年ぶりにストレスで食べれないくらいの状況になってしまっていた。結局5月末に終わった学期の成績は中くらい。それでも、「わたしは心の底からベストを尽くした」と悔しいながらも胸を張れた。
アメリカではコミュニティカレッジと言う公立大学システムがある。2年制の大学で、大学卒業資格は得れないけれど、そこで2年やったあとに4年制の大学に移る、というシステムになっていて、プライベートや金銭的な問題などで普通の大学に入学できなかった生徒や、一度別の資格を取っていてまた学校に戻る準備をしている人などがかよう。わたしも、高校をオンラインで卒業しているし、成績も下の下だったため普通の大学にそのまま入れるわけもなく、コミュニティカレッジから始めた一人だった。4月に、9月からの新学期に新しい学校に移るためのアプリケーションを出し終わって、そこそこいい学校にも受かり、最後の駄目元で出してみた大学からの返事を待っている状態だった。
エクアドルでの生活はすべてテント。カノアという小さな海辺の漁師町で、以前もフィリピン、ネパールなどでお世話になっている災害支援の団体で合計30人ほどのボランティアとスタッフで暮らしている。ネットなどはもちろんなく、ワイファイを使うには近くの街のモールまでヒッチハイクで約40分。アメリカでは使っている携帯会社との契約のおかげで、私の携帯はたまーにゆるりと2Gが入る。
私たちがキャンプ場として使っているホテルの跡地(崩れて砂地になっているところにテントを張っている)にはよく出入りするめちゃくちゃかわゆいワン子がいて、私のはその子をcamp dog(そのまんま、キャンプ犬)と呼んでいたのだが、キャンプ犬はたまに私のテントの出入り口でお寝んねする。彼女にテントごと揺らされ、6時起床より少し早めに起こされて、ぼんやり頭で携帯を手に取りメールをチェックしていたら、その駄目元で出していたアメリカ有名8大学(アイビーリーグ)の一校からの合格通知が来ていた。一人で「ぎゃっ!!!」と叫んでしまった。信じられなくて、一度携帯を閉じて心臓を落ち着かせてからまた読んでみたら、やっぱり合格通知だった。あまりにテントの中でエビみたいに飛び跳ねてバタバタしたせいでキャンプ犬に見捨てられ、一人になった私は薄手の寝袋シーツの中で感謝で涙した。
努力すればなんでもできる、なんて「本当にそうなら素敵だよね!」程度にしか思っていなかった。どうしても努力してもできないことだってあるし。でも、高校退学の私が。オンラインの学校すら成績がCとかだった私が。まさかのアイビーリーグ。
何かを欲しがることって、何かに向かって進んでいくことって、頑張ればもしかしたら手に入るかもしれないと信じれないとできないことなんだと思う。
私がアルコール、薬物や精神病に潰されて、あと一歩も進めない、というところまで落ちた時も、「別の生き方がある」という考えに至らなかったのは、別の生き方ができると信じれなかったから。自分にその力や価値があると思えなかったから。何かに向かうには、たどり着けるという希望がないと難しい。
いつからか、本当にいつからか私は努力をできるほどに自分を信じれるようになった。
2年前にメル山に登った時について書いた時も「苦しい」と「できない」は違うことについて気づかされたと言ったけれど、「できるであろう自分」を信じていることにもびっくりした。そうやって、私はどれだけ恵まれているかをこういう瞬間にリマインドされる。努力ができる人は、沢山愛されて、サポートされてきた証なのだ、と。
そして今日も私は穴を掘ったり、竹を刈ったり(ちなみに、南アメリカに生えてる竹って有刺鉄線みたいな枝がにょきにょき生えてて刈る人をズタズタにする結構な代物だ。靴底をも通して刺される。)犬に愛想つかされたりしながらも、努力ができることに感謝する。努力をさせてもらえる現実にびっくりする。そして結果に涙する。
入学はほんのスタートラインに過ぎないから、これから本当にまたがむしゃらに頑張る日々が続くだろう。でも、この先どんなにひどくすっ転んで失敗したとしても、がむしゃらにできることがなによりも幸せなのだと私は知っちゃてるんだ。
この日々をまたしばらくみなさんと毎月の文章にてシェアさせていただける機会に感謝する。
きょうこ
|