先日総代さんと一緒に京都の浄土宗総本山知恩院に行き、「おてつぎ運動」50周年記念行事に参加させていただきました。
当日は、日本晴れで暖かく、また紅葉も始まり、絶好の京都日和でした。また国宝の三門、方丈の間、方丈庭園が無料開放され、記念行事に花を添えておりました。
同時に解体修理されている国宝である御影堂の修理現場も開放されており、すべてを見学する時間はありませんでしたので、御影堂の修理現場を見させていただきました。屋根を葺いている様子は、今しか見ることができないからです。数年前になりますが、姫路城を訪れた時も解体修理中で、天守閣の最上部の瓦葺きを、見学タワーから楽しんだことがありましたので、迷わず、修理中の御影堂の見学となったわけです。
御影堂は、法然上人の御影をおまつりしており、寛永16年(1639)徳川家光によって再建され、平成14年には国宝に指定されました。法然上人800年御忌を厳修いたしてから、8年にわたる解体修理となったわけです。
その大きさは間口45m、奥行35m、周囲に3mの外縁を巡らした堂宇です。御影堂は、さらにひとまわり大きいさや建屋で覆われており、見学用階段を五階ほど上がると、そこはすでに棟の高さです。普通では目にすることのできない光景が飛び込んできました。整然と葺かれた瓦が幾何学模様でありながらも、どこか温か味を感じさせるのです。一枚一枚の瓦が全国浄土宗信徒の寄進によるものであり、仏さまをお守りする屋根であるからであろうか。
瓦はすべてで約9万枚、下ろされた瓦は金槌のような道具でたたき、高い音が出れば再利用、鈍い音がでたものは利用せず、記念品として下賜されたそうです。瓦は、創建当初の寛永の時代、寛文11年(1671)、元禄15年(1701)、宝暦10年(1760)、明治41年(1908)に平成の瓦が加わるそうです。創建当時の瓦は特に質が良くて、葺き替えの2〜3割が再利用との説明を受けました。
ちょうど昼休みどきで、そこには作業する人はだれ一人もおらず、その静寂が特別な雰囲気を醸しだしているのです。境内の雑踏から解き放たれ、自分の足音だけがさや建屋にこだまする。すべてが異次元での体験でありました。
二度とみることのできない光景を、今回の総本山知恩院でのお土産とすることにしました。メルマガに書かせていただいたのは「おすそわけ」でです。
【三門】
元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠公の命を受け建立されました。平成14年には国宝に指定されました。
構造は入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国現存の木造建築として最大級の二重門で、外に掲げられている「華頂山」の額は、大きさは畳二畳以上にもなります。
一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。
これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味しています。
【大丈の間】
大方丈
知恩院には、大方丈(おおほうじょう)と小方丈(こほうじょう)の2つの方丈があり、どちらも寛永18年(1641)の建築、洛中随一の名書院として知られています。
大方丈は二条城と同様の書院造りの形式を備え、54畳敷の鶴の間を中心に、上・中・下段の間、松の間、梅の間、柳の間、鷺の間、菊の間、竹の間と武者隠しの部屋があり、狩野一派の筆による金箔・彩色の襖絵に彩られた豪華な雰囲気を漂わせています。
また、鶴の間奥の仏間には、快慶作と伝えられる本尊阿弥陀如来像が安置されています。元祖法然上人800年大遠忌にあたっては、桧皮葺入母屋造りの屋根の葺き替え修理が行われました。
小方丈
小方丈(こほうじょう)は6室から成り、大方丈と同様、襖には狩野派の絵が描かれていますが、大方丈のものとは対照的に淡彩で落ち着いた雰囲気に包まれています。
【方丈庭園】
周囲には方丈庭園がめぐらされ、小堀遠州と縁のある僧玉淵によって造られたと伝えられる心字池や、茶室の葵庵、権現堂などが続き、春の桜、初夏の新緑、秋には池に写る紅葉、冬には雪景色や澄んだ空気の中全体がくっきりと見え、四季折々の風情を漂わせています。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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