皆さま、お久しぶりです。今年も、たくさんの変化や、自分の足りなさに苦しまされながらも、なんとか皆さんのおかげで、無事健康に恵まれながら新しい年を迎えることができました。健康と言っても、かなりきつかったです。
新しい大学での一学期目は想像していたより大変で、自分も周りもどんどん病んでいくのを感じた。朝9時くらいから学校に行き、夜中の2時に図書館を出る時、まだ席は人で埋まっている。土日曜日ももちろん学校。私の「学部」では一学期だけで7人の自殺者が出た。故郷では常に一番だったのが、大学に出てきて味わった「挫折」抱えきれなくなったのか、過酷なスケジュールの重圧でまともに考えられなくなってしまったのか、いろんな理由の混ざり合った結果なのか、もうわからないけれど、それが当たり前のように、「こういう競争的な学校だから、しょうがないね」と片付けられるのに心底ゾッとした。しょうがないってどういうことだろう?
新年早々のトルコの乱射事件も、クリスマスのドイツのひき逃げ事件も涙が出た。私はそういう事件の後、SNSのプロフィール写真をその国の国旗に変えたりは絶対しないし、特定の事件についてのコメントなどはなるべく控えている。
無かったことにしたいわけじゃないけれど、事件が起きた後のメディア(ソーシャルでも、ニュースでも)に対してすごく、不自然さや居心地の悪るさを感じるから。起こる国や地域によって、一般的なサポートや連帯感が、あまりにも違う、という事実。
どうも、国によって人の感じる「しょうがない」度の違いなのだと思う。人々が思う、事件の「理由」も違うのだろう。(テロVS.内戦という見解?)でも、その被害者にとって、テロと戦争の影響ってそんなに違うのか?テロの意味って「政治的に動機づけられた暴力」って考えたら、戦争はテロじゃないのか?ならばなぜ人はプロフィールをレバノンやシリアの旗に変えたりしないのか?もちろん、旗の色にプロフを変える人に対してネガティブに思うわけではない。様々な悲劇が起こるなか、どうしていいかわからず、でも何かしたくて、それがたとえSNSでのプロフの写真を変えるだけだったとしても、なんでもしたい気持ちも共感できるから。
ヒューマニティーへの連帯感を示すのは、もちろん悲劇があった時に限らないでもいいはずだ。いわゆる「悲劇」はいつも世界中で起きているから。メキシコのプロテストをしていた生徒たちは遺体すらまだ見つかっていない。イェメンの(ほぼ)内戦は?ミャンマーのロヒンギャのイスラム難民たちはどうなる?シリア以外ではイラクだって南スーダンだって、現在進行形で戦争中だし、戦争以外でも、北アフリカでは女性器切除は未だに頻繁におこなわれている。日本でだって、路上生活者は日々苦しんでいるし、障害者へのサポートもまだまだ全然だ。
大きな問題すぎて、途方にくれる時もある。でもできることの一つとして、しっかり哀しむことがあると思う。哀しむべき事って沢山あるから、全部をしっかり感じていたら、生きる事ってどこかに少し哀しみをおびてくるかもしれない。しかし、感じるべきモノは哀しみだけではない。この世の中には抱えきれないほどの美しいものと、感謝すべきものと、祝うべきことでも溢れている。世界を受け入れることと諦めることは絶対に違うし、謙虚でいることと無力に伏すことも違うと思う。つまり必要なのは感じることで、きちんと「世界」を感じたら、きっと愛にたどり着くのだと思う。
マザーテレサのお墓の上に、日替わりでお花で描かれるメッセージの一つを思い出した。”Give until it hurts with a smile” (痛くなるまで与えなさい、笑顔で)。それの長いバージョンが、施設の壁にも描かれている。確か、「Love until it hurts, with a smile. Then still keep loving.Then, all that will be left is love. (痛くなるまで、愛しなさい、笑顔で。そしてそれでも愛し続けなさい。そうしたらば、愛だけが残るのです。)」だった。
「笑顔で」。私の解釈で、これは無理に笑え、とは言っていない。以前「つながり」について書いたときも、世界のためにできることは小さな行動一つづつだと自分をリマインドしたけれど、私はそれを頑なになりすぎる。知識を取り入れて見たり、反対意見を持つ人も含めいろんな角度からものを見てみようとしてみたり、どうやってその意見にたどり着いたか知ってみようと頑張ってみたり、自分の気付かなかったバイアスを認めたり、恐れや不快や自己犠牲を伴ったとしても他の人をたまには優先してみたり、それは全部大切なことだけれども、笑顔でできなければ。
「しょうがない」の語源は「仕様」、何もできることがない、という意味らしい。でも、こうやって一つでもできることが有る限り、しょうがないことなんて何一つない。例えばシリアやイェメンの被害者の助けには直接にはなれないとしても、毎日必死に愛しまくり、笑顔を忘れなかったら、しょうがないことなんて何一つないんだ。
きょうこ
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