みなさま、はじめまして。今月より掲載をさせていただくことになりました、田畑智英(たばたちえい)と申します。京都は中京区にございます、三寳寺という浄土宗のお寺の副住職を務めております。ただお恥ずかしながら、副住職とは名ばかりの(旅と写真とコーヒーが大好きな)26歳になりたての未熟中の未熟な私でございますが、 ありがたく今月よりみなさまとのご縁を頂戴いたしましたので、これからどうぞよろしくお願いいたします。ゆとり世代の代表的世代が故に、堅苦しいご挨拶はどうも苦手でございまして、みなさまには何分失礼なこととは存じますが、今後はざっくばらんに私の思いの丈を綴らせていただきたく思いますので、何卒ご容赦の程よろしくお願い申しあげます。
さて、なぜ私が願成寺様のメールマガジンの連載をお引き受けさせていただいたかというところから話を始めたいと思います。
2013年春〜2015年にかけて2年間、願成寺様のメールマガジンの連載を担当しておられた、兵庫・安養寺、またインド・仏心寺にいらっしゃる清水良将上人より、先日この度の連載のお話をいただきました。しかし、ご住職の記事をはじめ、これまでご担当されておられた方々の記事を拝見し、私のような若輩者がお手伝いできることはないだろうと思い、お断りをしようかと正直迷ったのですが、私の人生のモットーの一つとして、「誘いはできるだけ断らない!」主義を掲げておりますので(自分の中だけ)、おこがましくも、そして微力ではございますが、私の経験談をもって、この連載を読んでいただけるみなさまの今後の人生に、ほんの少しでもお役に立つことができればこの上ない幸せなことだなと思い改め、お引き受けをいたした次第でございます。そしてこのような貴重な機会を与えていただいた、魚尾上人、清水上人には感謝の気持ちでいっぱいです。
清水上人と私の出会いは今から4年程前のインド・ブッダガヤでございました。私は当時22歳、京都の大学に通う3年生で、大学へ通いながら浄土宗僧侶の資格をいただいた後に、一時休学し、自己研鑽のため、半年間の世界一周の旅に出ました。ブッダガヤへは、この旅の終盤に仏教聖地の巡礼のために訪れました。私の連載ではこの旅で私が見た世界、感じたことを中心に、みなさまにお伝えしようと考えております。
このブッダガヤでの話の詳細はまた別の記事でご紹介したいと思いますが、お釈迦様のご遺跡でありますインド・ブッダガヤからいただいたご縁ということもあり、この度の連載をさせていただけるということに、私自身強く宿縁を感じております。
話は前後いたしますが、私は先述の三寳寺というお寺で生まれ育ちました。この三寳寺は、京都市中京区、世界遺産の二条城より徒歩5分程の場所に位置し、三条商店街という全長約800mのアーケード商店街に参道が面しており、京都のお寺の中でも賑やかな場所に立地するお寺かもしれません。
しかし、活気のある商店街から参道を進み、一度山門をくぐると、そこは京都の中心地とは思えないような静かな空間が広がっています。時より庭に遊びにやって来る鶯の「ホーホケキョ」という鳴き声とともに起きる大変贅沢な朝もある程で、京都の街中にいながら、一瞬自分はどこに迷い込んだのかと思ってしまいます。(このギャップが大好きです)今後、この三寳寺をどう時代に即したお寺にしていくかが私の使命だと感じております。
さて、そんな自坊では現在名ばかりの副住職と申しましたが、普段は浄土宗総本山であります知恩院へ奉職をさせていただいておりまして、その中でも、三門の目の前に建つ知恩院の宿坊「和順会館」で日々勉強をさせていただいております。
和順会館では、全国から知恩院へ参拝をさせるお寺様やお檀家様をはじめ、祇園へ徒歩すぐの好立地から、京都へ観光にいらっしゃる方々、さらには海外のお客様まで、多岐に渡るお客様を日々お迎えしております。また知恩院、和順会館についての記事も書かせていただこうと思います。
稚拙な文章でみなさまにはご迷惑をおかけしますが、しばらくの間お付き合いの程、どうぞよろしくお願い申しあげます。
三寳寺 田 畑 智 英
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