家庭菜園は、メルマガにいろいろと話題を提供しくてれ、わたしの良きパートナーである。この時期、キュウリは大変に成長の早い野菜なので、毎朝の収獲となる。農家では、サイズをそろえるために、早朝、昼、晩と3回の収穫という。
朝6時には菜園に行き、最初の仕事は虫取りである。
ジャガイモやナスを食害するニジュウヤホシテントウの捕殺である。ペットボトルに漏斗(じょうご)を取り付けた自作虫取り器、虫に近づけ漏斗に落とすと、ペットボトルのなかに滑り落ちるという簡単な仕掛けである。手で摘まみ取ろうとすると、身を守るためであろうか、ポロリと落下してすぐに隠れてしまうからである(擬死、死んだふり)。当然ペットボトルのなかには水をいれてあるのだが、数分の間もがいて死んでいく。見ていると少し可哀想な気がするが、そうかといって捕殺しなければナスの収穫はほとんど期待できなくなる。そこで苦しまないで死ぬように、ペットボトルのなかに極少量の灯油を入れてあり、落下と同時に動かなくなる。
次にキュウリに向かう。ここではウリハムシ退治である。やはりニジュウヤホシテントウと同じで、近づくと葉から落ちる。そればかりかすぐに飛び立ってしまうのである。だが幸いにかれらは朝寝坊で、私が行くときにはまだ葉の上で寝ているので、おおかた捕殺することができる。少しぐらい葉をかじられてもと思うが、その傷口から細菌やウイルスによって、いろいろな病気になってしまうので、これも見逃すことはできない。
春にいわゆる夏野菜を植えてから、毎朝の日課となっている。ところで益虫と害虫との境はどこにあるのだろうか。カマキリや蜘蛛を好きな人はあまりいないであろうが、害虫の捕食のエキスパートであり、益虫の代表選手である。
テントウムシには、その食種によって2種類がある。ナス科の植物を食害するニジュウヤホシテントウ、アブラムシやカイガラムシを食べるナナホシテントウ達である。同じテントウ虫であるが、益虫と害虫とに分けられる。その違いは、感情的表現でいうと、ニジュウヤホシテントウは斑点がぼやけていて薄汚い。一方ナナホシテントウをはじめとする益虫テントウ虫は、斑点数に関係なく光沢があって美しいので一目瞭然である。
結局、虫たちは人間とって有益であるかないかが基準となって、区別されているのである。地球上のすべての生物は平等に生きる権利を有しているのであるが、生きるために食物、餌、養分を必要とするところから、食うか食われるかの世界が誕生してしまうのである。
坊主が毎日朝から、虫とはいえ殺生を繰り返す。カンダタは蜘蛛を助けたことによって地獄から逃れるための蜘蛛の糸を与えられる(芥川龍之介『蜘蛛の糸』)。すると私は、地獄で虫たちの責め苦を受けるのであろうか。
それならば、家庭菜園をしなければ、毎日虫たちを殺さないですむという問題ではない。それは漁師さんが獲った魚を食べれば、私は殺生していないという考え方である。
ナスやキュウリ、あらゆる食べ物は、数多くの生き物の命をいただいているという気持ちを忘れてはならない。「いただきます」の一言を大切にしたい。
7月31日朝6時10分、明日発行するメルマガ原稿を書き終えた。これから家庭菜園で虫取りである。
【擬死】ぎ‐し
動物が急激な刺激を受けて、死んだように動かない状態になること。昆虫のほか鳥類や哺乳類などにもみられる。ふつう刺激に対する単なる反作用として起こり、その結果、外敵からのがれるという役割を果たすこともある。(ジャパンナレッジ、日本国語大辞典)
【益虫】えき‐ちゅう
人間の生活に直接、間接に利益をもたらす昆虫。生産物が利用できるカイコ・ミツバチの類や薬用になる昆虫、また、害虫の捕食、花粉の媒介などのかたちで利益をもたらすハチ・カマキリなど。前者を有用昆虫、後者を有益昆虫と区別することもある。⇔害虫。(ジャパンナレッジ、日本国語大辞典)
【害虫】がい‐ちゅう
人間の生活に直接、間接に害を与える虫の総称。人体に寄生するカイチュウや、血を吸うノミ、ダニ、カ、衣類・食物などを食害するイガ、カツオブシムシ、ゴキブリ、農作物・果樹などを食害するアブラムシ、ケムシ、ウンカなどをいう。⇔益虫。(ジャパンナレッジ、日本国語大辞典)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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