世界を旅して、様々な場所で、日本と世界の意外な繋がりに出会いました。ぜひその発見と感動をみなさまにもお伝えしたく、今月、来月と2回に分けてご紹介しようと思います。
前回の夕陽の記事でも少しご紹介したイースター島。モアイで有名な、南太平洋に浮かぶ絶海の孤島です。イースター島の現地名はRAPA NUI(ラパ・ヌイ)といいます(広い大地の意味)。チリの領土に属しているため、公用語はスペイン語です。イースター島の由来は、オランダ人探検家がこの島を発見した日が、キリスト教の復活祭(イースター)の日だったからといわれています。
このイースター島、チリに属しているとはいっても、アメリカでいうところのハワイやグアムのように、実はチリ本土からは遥か遠く、首都のサンティアゴからは約3,700kmも離れています。また人の住む最も近い島までは、なんと約2,000kmも離れています。数字がデカ過ぎてピンときませんので、具体例を挙げますと、北海道の知床半島から、鹿児島県の種子島までの直線距離が約2,000kmです。わかりやすくいうと、隣村まで2,000kmですよ。どんだけスケールデカいんですか。まさに絶海の孤島という言葉が相応しい場所です。
日本から行くには、距離的なこともありますが、乗り継ぎ等を含め大変な時間と労力を要します。往復の移動だけで丸4日間程かかってしまいます。しかし逆にそれほどの時間と労力をかけて訪れるからこそ、その感動も大きいのかもしれません。私は南米を周遊中に、チリのサンティアゴからイースター島へ飛びましたが、実際、モアイをどうしても一目見たいと思い、有給を使って移動日込みの1週間の日程で、日本からわざわざイースター島観光だけに来たという、20代の2人組の女性にも出会いました。
私も彼女たちのように、モアイをこの目でいつか見てみたいと思っていた1人です。テレビや旅行雑誌などを通してモアイを見る度に、惹き付けられていったのでした。
イースター島には、建設途中に何らかの理由で放置されたもの、倒れているものも含め、約900体のモアイが存在し、そのうち約30体のモアイが現在立った状態で保存されています。イースター島の歴史の中で、部族間の争いが理由で、かつて立っていたモアイは全てなぎ倒されました。現在の30体は全て近代になり再び立てられたものです。その中でも最も有名なスポットが、15体のモアイが海岸沿いにそびえ立つ地、「アフ・トンガリキ」です。モアイの背後から朝日がのぼる、サンライズスポットでもあります。
高さ約4mほどもあるモアイ達の前に座り、対峙すると、様々な感情が沸き上がってきます。モアイとは何なのか。誰がどのような思いを込めたのか。これまで何を見つめてきのか・・・個人的な感想ですが、モアイは正直にいって、その造形自体に美しさを感じるものではありません。石を荒く削り造られた、ごつごつした印象の、なんとも素朴な像です。ですが、その素朴さ故に、親近感が湧き、その大きさが故に、全てを包み込むような優しい包容力を感じ、その威厳のある佇まいが故に、こちらも居住まいを正さないといけないような・・・それらはまるで仏様の前にいるような感覚に近く、思わず手を合わせたくなる、そんな非常に尊い存在でした。宗教や生活環境がどれだけ異なっていても、人間を超えた尊い存在を敬い、祀り、心を向け、また守護者として見守ってもらう、そのような認識、行動は全人類に共通するものなのだろうなと感じました。
実は、モアイとは一体何のために造られたのかは実は未だに謎で解明されていません。その起源は諸説ありますが、この土地のポリネシア系民族には先祖崇拝の信仰があり、先祖の霊を部族の守り神として祀る習慣や、一族の権威を誇示する象徴としての意味も含め、10世紀頃から造られていったのではないかと考えられているようで、私は自分のモアイの前で感じた感覚から、この説に最も共感しています。
さて、この「アフ・トンガリキ」の15体のモアイ像なのですが、ここに日本との繋がりが隠されています。「世界・ふしぎ発見!」という有名な番組がありますが、1988年にイースター島を特集した際、当時はかつての争いでモアイが倒されて以降、立っているモアイがない状況であったため、イースター島の知事が「クレーンがあれば、モアイを元通りにできるのに」と番組内で語りました。その放送をたまたま香川県のクレーン会社、「タダノ」の社員さんが見たことがキッカケで、クレーンで社会貢献ができる良い機会だと、会社を挙げた一大プロジェクトになり、多額の費用をかけ、考古学者らの協力も得て、15体のモアイの修復に着手します。その過程で、クレーンの無償提供をはじめ、モアイ修復の技術を島民に伝達しながら、7年の歳月をかけ、見事モアイの修復・再建を果たされました。
今では当たり前のように、モアイの本来の姿を見ることのできるイースター島ですが、その影には日本とイースター島の方々との強い繋がりがあったのです。地球の裏側で、日本人の助け合いの精神に触れ、胸が熱くなりました。
この話を知った後に再びモアイを見にいってみると、どことなく嬉しそうに微笑んでいるような気がしました。
三寳寺 田 畑 智 英
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