大津絵の「鬼の念仏」をご存じであろうか。鬼が法衣を着て、奉加帳、鉦(かね)、傘を持っている姿で、無慈悲で冷酷な人が表面だけ神妙に振舞うこと、柄にもなく殊勝に振舞うことの譬(たとえ)に使われている。
昔、京の都には、「酒呑童子(しゅてんどうじ)」を代表に、いくつかの鬼伝説があって、悪事を働く鬼とそれを退治する話である。そこから派生したのであろうか、改心した鬼が、荒廃した都の寺院修復のため、奉加帳を持って町のなかを勧進する姿ともいわれる。応仁の乱で荒廃した都であったので、伝説の流行と重なるところもある。
先日、三島で美術の教員を勤めながら、「鬼の念仏絵」に邁進された瀬川真氏のご遺族から作品の寄進を受けた。その大半が「鬼」の絵である。じつに自由闊達(かったつ)な作品群である。
戦後まもなくの頃から先代住職と交流があり、瀬川氏が鬼を描かれた時から、その絵柄を色紙や団扇(うちわ)として、お檀家さんに配布したことがある。
瀬川氏がどうしてこれまでも「鬼」に傾倒していったのか知るよしもなかったが、今回頂戴した作品群のなかに、その動機が記されていた。
「鬼念帳」と題する冊子がある。昭和27年2月23日から3月10日に描かれたもので、次の文で始まる。
又兵衛が鬼
むかしの夢にあらず
朝夕に
心に湧き出ずる
鬼奴等の
姿
筆にて止めん
題して
「鬼念帳」
二十七年三月一日記
次に三島市にある臨済宗妙心寺派の龍沢寺管主中川宋淵師(号、密多窟)の言葉をいただいている。
鬼佛
同行
就山中
密多
そして自由奔放の鬼達の登場となるのである。跋文は次のごとくである。全文を記す。
「想い出」 十日朝記
もう十四五年になるだろう。
美しい春の月が銀座の夜空に
ポッコリ浮んだ夜
友と別れの酒をくみ交して
その妹との問題を
美しいロマンチックの夢として
懐しい母のもとへ歸ることを心願った
アの夜―
私を驚かした一枚の画―
それは露天の汚い片隅に在った
又兵衛の鬼念佛の古画であった。
故郷に歸って父の墓前にぬかずいた時
百枚の鬼を描き千枚の鬼をと
父の霊に誓ひ、自分の心にも誓ったー。
日月はこの誓ひを待たず
流れ去って了った今日
同じ春の月が大空に浮かんだ夜
私の心の奥に忘れ去られてゐた
誓ひが湧き出て来たー。
これからご紹介させていただく。鬼、人間、佛は同行、そしておのれの心なかの鬼達を。
【大津絵】おおつ‐え
(1)江戸時代、近江国(滋賀県)大津の追分、三井寺辺で売り出した、あらく走り書きした戯画。追分絵。大谷絵。土佐絵。JK「日本国語大辞典」
【鬼の念仏】
1 無慈悲、冷酷な人が、表面だけ神妙に振舞うこと。また、柄にもなく殊勝に振舞うこと。鬼の空念仏とも。
2 大津絵の画題の一つ。法衣を着た鬼が傘を負い、奉加帳、鉦(かね)、撞木(しゅもく)を持っている図柄。この絵を壁に張っておくと子供が夜泣きをしなくなるという。JK「仏教語字典」
【酒呑童子・酒顛童子・酒天童子】しゅてん‐どうじ
〔一〕昔、鬼をよそおって財物、婦女子を掠奪した盗賊。丹波国(京都府)大江山と近江国(滋賀県)伊吹山に住む(伊吹童子)ものがいる。大江山のは源頼光とその四天王が勅命を奉じて退治したという。絵巻、御伽草子、草双紙、浄瑠璃、歌舞伎などの題材となった。JK「日本国語大辞典」
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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