最初の舞台はまたまた南米。私の旅は南米の思い出がかなり濃いです。前回の舞台、イースター島からチリ本土へ戻り、アルゼンチン〜パラグアイへ入りました。
パラグアイ共和国。周囲をブラジル、ボリビア、アルゼンチンに囲まれている内陸国です。首都はアスンシオン。面積は日本とほぼ同じなのですが、人口は約630万人と、人口密度がかなり低く、土地が非常に広く感じる国です。
パラグアイ・イグアス居住地。アルゼンチンでパラグアイのルートを考えている時に、旅人から日本人居住地の情報を聞き、アルゼンチンとの国境近くのイグアス居住地を訪ねてみることにしました。
明治以降に始まった、日本人の各国への移住の歴史はそれぞれにありますが、パラグアイは、もともと1930年代頃に膨れ上がり規制がかかったブラジル居住地の代替地として移住が始まった国で、現在も約7000人の日本人及び日系人の方がいらっしゃいます。
このイグアス居住地は戦後にできた居住地です。ここに移住された方々は、戦後職もなく、食べ物すら充分にない状態の日本のなか、政府の海外に理想郷があるという言葉を信じ、夢を持って新天地にやってこられたのでした。ですが実際には土地も家も何も用意されておらず、荒れた大地が広がるだけのこの土地を開拓し、言葉も通じない異国の地で、想像を絶するような苦労の末に築かれた土地だったのです。そんな事実を、泊まっていた日本人宿のご家族に教えてもらい大層身の縮む思いがしました。
戦後にできた居住地なので、日本生まれの方もお元気でいらっしゃいます。日本人学校にもお邪魔したのですが、この土地のご出身の校長先生は、「ブラジルのように長く定住し、3世や4世と呼ばれる子どもたちが生まれると、日本生まれの人との関わりもなくなり、日本語を話さなくなる。ここはまだ比較的若い居住地なので、今後そうした世代に対して、日本語をはじめ、しっかりと日本の文化や精神を受け継いでいくことを大切にしたい」と話してくださいました。
宿からすぐの場所には、鳥居がシンボルになっている公園があり、その向かいには農協のスーパーがあります。入るとすぐにレジの方から「いらっしゃいませ」と声をかけられ、「あれ、ここはどこやったっけな」と一瞬思ってしまいます。日本の食材の品揃えも豊富すぎて、びっくりします。そんななかに、ある豆腐がありました。
2011年の東日本大震災を受けて、パラグアイの日本人会が母国日本への震災支援についてぜひ何かしたいという熱い思いのもと、生産する大豆を使用し、日本国内の豆腐生産者の製造協力を得て、被災地へ100トンもの豆腐を届けられたそうです。この話を聞いて、感動のあまり涙が出ました。被災地の方々も、地球の裏側の日本人会から支援物資が届いたときには、言葉にならない思いがあったと思います。「心はひとつ」やはり、大変な苦労を重ねてこられた方は、人の痛みが人一倍、自分のことのようにおわかりになられるのだな、と強く感じました。
地球の裏側の小さな日本には、とてもあたたかな人びとが暮らしていました。
2つ目のお話。キューバの首都ハバナの海岸線近くを散歩していると、侍の像を発見しました。
偶然出会った侍に、なんで侍!?誰!?とかなりびっくりしながら案内板を読むと、彼は支倉常長という名の、伊達政宗の家臣で、慶長遣欧使節団としてスペイン国王やローマ法王に謁見する途上で、このキューバを訪れた、キューバの地を最初に踏んだ日本人です。キューバと日本の友好の証として、ハバナにこの像が建てられているそうです。
遙か400年前に、彼も胸を高鳴らせながら、この地にいたと想像してみると、なんだかそれだけでワクワクしたのでした。
3つ目のお話。南太平洋の島国トンガでは、これまた偶然宿で日本人に出会いました。お話を伺うと、その方は日本政府の政府開発援助の一環で、お勤めの企業が技術委託をされ、その方は半年間の任期で、トンガの島々にソーラーパネルを設置するというプロジェクトの責任者の方でした。
出会ったその日、夕食をご一緒したのですが、お仕事の苦労話を伺い、頭の下がる思いでした。トンガ人はのんびり屋なので時間をびっくりするほど守らないらしいですよ。さすが南国。(笑)
前回、今回と旅先で発見した日本と世界の国々との関わりを、ほんの一部ではありますがご紹介しました。小さな街の商店に置いてある1本の日本ビールから、政府の開発援助まで、本当にあらゆる部分でつながりがあるのだと、現地で実感しました。
行く先々で、どこから来たのかと聞かれ、日本から来たと答えると、「おぉ!日本人か!」「日本は本当にグレートだ!」「ありがとう、日本!」なんて言葉を数えきれないほどもらいました。中にはもちろんお世辞もあるかもしれせんが、本当に日本のことを褒めちぎられることが何度も何度もありました。
その陰には、政府の援助をはじめ、「Made in Japan」で知られる高い技術製品など、地道な信頼関係の構築があるからこそだと実感し、日本人であるということにより誇りを感じるようになりました。
そんな、世界の人々から認められる日本人として、恥じない生き方をしていきたいと切に思います。長文、お読みいただきありがとうございました。
三寳寺 田 畑 智 英
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