鬼の念佛の作者瀬川眞氏の経歴を紹介させていただこう(注1)。明治40年三島市大宮町の旧家瀬川家に生まれる。瀬川家は、三島で「魚半」という大きな料亭を営んでいた。「魚半」常連客だった画家の影響を受け、絵の道を志すが父に反対され、沢地の龍沢寺の玄峰老師の教えを受け美術学校に行くことを決意。多摩美術学校に入学、昭和11年に卒業する。
卒業制作にロウケツ染「人物風俗図」を作製する。その作品は、きっと実家である「魚半」に保存されていたのであろうが、戦後「魚半」が進駐軍に接収されるとき、その紛失を免れるためであろうか、瀬川家菩提寺である願成寺に寄贈されたと思われる。屏風として旧書院で利用されていたので、わたしには物心ついたときより身近にあり、インドの人が女性に花束を渡して求婚している図柄と勝手な想像をしていた。人物には魂が宿っており、その生き様を彷彿する迫力があり、元気をもらったものである。
公開されたのは、平成5年に郷土資料館の企画展「ふるさとの画家とその作品展」に、下田舜堂、栗原忠二、細井繁誠、杉本英一、芹沢晋吾、高梨勝瀞とともに展示されたのみである。
退色が進んでいるので、現在は公開していない。
多摩美術学校の助手をへて、昭和14年から静岡県東部の学校で教員を務めながら創作にあたっていた。11月号に紹介したごとく、鬼の念仏に邂逅(かいこう)いたし、その創作の大方「鬼の念佛」をテーマとして、昭和38年教員生活を終えると、昭和50年68才でその生涯を閉じるまで鬼を描き続け、その意気込みは死の直前まで旺盛であったという。
氏を彷彿する絵を掲載させていただこう。
春夜求道
十五日夜
道を求むること
十年 未だ
得ず
一日一枚を描き
年月十年を過ごし
得ること空し
夢をすて得ず
今日今夜
筆を取りて夢を追ふ
注1 三島市郷土資料館企画展「ふるさとの画家とその作品展」パンフレット
【邂逅】かい‐こう
(1)(─する)思いがけなく出会うこと。めぐりあうこと。
(2)(形動)まれなさま。また、偶然のさま。たまさか。希有(けう)。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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