先日、トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定するという内容の発言をしたことにより、世界中に波紋が広がっています。パレスチナ自治政府は抗議のため、その日から3日間を「怒りの日」とし、パレスチナとエルサレムでは、大規模に増強されたイスラエル治安部隊とデモ隊との間で衝突が起きました。また、21のアラブ諸国などが加盟するアラブ連盟、そして国連安保理の緊急会合も開かれ、各国からアメリカへの批判が相次いでいます。
このようなイスラエル、パレスチナを取り巻く問題。私は、これまでテレビから流れるニュースでその名を聞いて、何か深刻な問題があるのはわかるけど、心のどこかで「遠い国の話」だという思いがあり、正直なところ、あまり詳しく知ろうとはしていませんでした。しかし、旅をするにあたり、今後宗教者として生きていくうえで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるエルサレムを訪れ、何かを感じたいと思い、実際に訪れ、現状の一端を知ることができました。今回はこのパレスチナ地域に関する記事を書いてみるのですが、私のような者がテーマとして記事を書くにはあまりに問題が大きく深いので、間違っていることもあるかもしれませんが、若者の一見解としてお読みいただければと思います。また、宗教とは、平和とは、そんなことを今一度考え直すキッカケになればと思っています。
(今回も2回に分けての投稿です)
まず、当地の歴史的背景をざっくりとご説明いたします。と言っても歴史が非常に長いので、説明も長くなりそうですが、できるだけわかりやすくまとめてみます。
その前に私なりのキーワード紹介をします。これをわかっているのとわかっていないのでは話の理解が全然違ってきます。
パレスチナ・・・
現在のイスラエル及び、パレスチナ自治区を合わせた地域
の総称。
イスラエル国・・・
ユダヤ人の国家。ユダヤ教を信仰。1948年に建国。
(親アメリカ)
パレスチナ自治政府(国)・・・
パレスチナ地域に定住する、アラブ人の自治政府の統治
地域。現在は、ヨルダン川西岸地区とガザ地区の2ヵ所。
イスラム教を信仰。(親アラブ諸国)
エルサレム・・・
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれの聖地。
イスラエルに属すが、エルサレム旧市街(東エルサレム)
周辺はアラブ人も住んでいる。イスラエルはエルサレムが
首都であると主張しているが、パレスチナ国もエルサレム
を首都として独立を目指しているため、国際社会はイスラ
エルの主張を認めていない。
現在のパレスチナ地域の歴史の始まりは、約4000年前、アブラハムという人物を中心としたユダヤ人が定住を始めたというところから。(リンカーン大統領のファーストネームは彼の名前が由来です。ちなみにイスラム世界ではイブラヒムと言います。)
その後紀元前10世紀頃、ダビデ王、ソロモン王の時代に彼らの王国である、ユダヤ王国は最盛期を迎えました。(ちなみにダビデ王は有名なミケランジェロのダビデ像のモデルですよ!)
そして西暦0年はもちろん、イエス・キリストが生まれた年ですね。イエス・キリストってどのあたりの人かご存知でしたか?そうなんです。彼は現在のパレスチナ国のベツレヘムという町で生まれ、エルサレム周辺で活動しています。イスラエル、パレスチナってちょっと縁遠いイメージがありますが、キリストの活動していた場所と聞くと少し親近感が湧きませんか?(私だけですか?笑)
さて、話を戻しまして、その後、ユダヤ王国はキリスト教を信仰するローマ帝国、イスラム教を信仰するペルシャ、オスマン帝国など他民族の侵攻を受け、ユダヤ人は散り散りになります。7世紀〜20世紀まではイスラム教系の国が支配していたので、この土地の住民は中世以降、長らく大半をアラブ人が占めることになります。(ユダヤ人も少数ですが残って生活をしていました。)この間、キリスト教国による十字軍遠征が行われたことも有名です。
第一次世界大戦がはじまり、イギリスはアラブ人側、ユダヤ人側双方に、協力してくれた暁には、パレスチナにそれぞれの独立国家を築いてあげますという外交をおこない(俗に言う二枚舌外交)、両者の関係性が悪化する最初の原因を作ってしまいます。それに伴いヨーロッパからのユダヤ人移民も徐々に多くなり、衝突はさらに激化。
その後の第二次世界大戦後にはイギリスは完全にパレスチナ地域への介入能力を失い、国連に問題解決を委ねます。
結果的に国連は、1948年に国連総会にて、パレスチナをアラブ、ユダヤの2ヶ国に分割し、エルサレムおよび周辺地域を国際管理下におくというパレスチナ分割案を賛成多数で採択しました。様々な要因がありますが、この分割案に沿い、最終的にイスラエル国が独立宣言を果たしました。もちろんパレスチナ自治政府のアラブ人をはじめ、周辺のアラブ諸国はこの決定に反発。紛争へ突入し、現在に至るという歴史の流れです。
近年は争いをやめ、なるべく平和的に解決を進めようとする両者の姿勢があったにも関わらず、冒頭のトランプ大統領の発言によって、イスラエル、パレスチナの両者間はもちろん、二者を取り巻く各国の混乱が激しくなっているという状況です。
前提の説明が大変長くなってしまいましたが、ユダヤ、キリスト、イスラムの3つ宗教聖地であるエルサレムの様子を少しご紹介したいと思います。
ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」。かつてユダヤ王国の最盛期にここに神殿が建設されましたが、侵略により破壊、唯一現在までその神殿の「西側の壁」だけが残り、それをユダヤ教徒は聖地としています。破壊されて以降は、1年に1日だけ立ち入りが許されたため、彼らは残された西壁に向かって祖国の復興を祈りました。こうして、神殿西壁は「嘆き」の壁となったわけです。イスラエルが建国された現在、彼らはユダヤ人の誇りである神殿に向かい、未来の繁栄を祈られています。日本にいるとユダヤ教徒と関わる機会はほぼないので、祈りを捧げる彼らの姿は、新鮮で珍しくも、非常に美しい光景でした。
キリスト教の聖地である「聖墳墓教会」。ここは、イエス・キリストが処刑されたあの「ゴルゴダの丘」の場所と言われ、キリストのお墓がある場所です。教会の中央にさらにキリストのお墓を守るお堂のようなものがあり、その中央に棺が祀られています。私は仏教徒ではありますが、2度とない機会ですので、2時間程参拝の行列に並び、キリストのお墓を拝んできました。並んでいる人を見ると、様々な国の方々がいらっしゃって、世界中のキリスト教徒の信仰の中心地なのだと実感しました。教会の入口すぐの場所にある、イエスの亡骸を乗せ、香油を注いだと伝わる大きな石板に、礼拝者が順にキスをされていたのがとても印象に残っています。
イスラム教の聖地である「岩のドーム」。イスラム教の開祖であるムハンマドがある夜、大天使ガブリエルに導かれメッカから、エルサレムまで天馬ブラークに乗って旅をし、そこから天にのぼって神の声を聞き、その玉座の前にひれ伏したといいます。天に昇るときに足をかけた石が、ドームに覆われている聖石であり、その表面にはムハンマドの足跡が残っていると信じられています。この伝承により、エルサレムは、メッカ、メディナに次ぐ第三の聖地と定められています。実は岩のドームの内部には観光客は入れないのですが、入口付近までは見学ができます。写真をみていただければ、装飾のきめ細やかな美しさがおわかりいただけるかと思います。各地のモスクや宮殿で見たイスラム芸術の美しさにはため息が出ます。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地、エルサレム。この3つの宗教の聖地は、実は同じ城壁に囲まれたエルサレム旧市街にあり、それぞれの距離は100mほどの距離にひしめき合っています。そこにそれぞれの数え切れない信者が毎日世界中から礼拝に訪れています。しかし実際に3つの聖地があるエルサレム旧市街の雰囲気は、私の想像していた、荒れた雰囲気とは全く異なった、聖地らしい「静かな」雰囲気でした。様々な問題を孕んでいますが、当の聖地の周辺では、それぞれの住民、または礼拝者がお互いをリスペクトし、配慮し合い、聖地らしい荘厳で穏やかな空気感を漂わせているように私は感じました。
次回はパレスチナ国の様子、またイスラエルの日本ではあまり知られていない意外な一面をご紹介しようと思います。
三寳寺 田 畑 智 英
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