新年明けましておめでとうございます。
昨年の投稿では、文章でみなさまに何かをお伝えするということの難しさを痛感しました。相変わらず読みにくい文章かと思いますが、自分の精一杯で本年も努めたく思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、前回はイスラエル・パレスチナ問題について、イスラエルの歴史や聖地エルサレムの様子をお伝えしました。今回はパレスチナに焦点を当て、パレスチナ側からその問題について考えてみたいと思います。
エルサレムからバスに乗り30分程で、パレスチナ国(自治政府、自治区)、ヨルダン川西岸地区に位置するベツレヘムという町に着きます。イスラエルとパレスチナの往来は、意外にも同じ街中をバスで移動するような感覚で、あっという間に越境することができます。途中にイスラエル軍が管理する検問所がありますが、日本人はほぼノーチェックで通ることができます。イスラエルには徴兵制度があり、多くの人が18歳から男性で3年間、女性で2年間の徴兵が義務化されていて、この検問所でも20歳にも満たない若い兵士が、若い顔には似合わない自動小銃を片手に仕事をしています。銃など触れたこともない自分にとって、さほど年が変わらない彼らの姿を見て、ここがイスラエル・パレスチナなのだと改めて実感します。
ベツレヘムはパレスチナ国内なので、住民はイスラム教徒が大多数ですが、この町はイエス・キリストが生まれた町としても有名で、町にはキリスト教徒の住民も住んでいます。エルサレムからは10km程度しか離れていないのですが、実はこの町とエルサレムの間には、とんでもないものが存在しています。
それは、イスラエルによって建設された、分離壁(アパルトヘイト・ウォール)と呼ばれる、高さ8メートルものコンクリート製の壁です。少し説明が長くなりますが、イスラエルにより、2002年からテロリストの進入を防ぐという名目で建設が開始されたこの壁は、パレスチナ国のヨルダン川西岸地区を取り巻くように造られ、その総延長はなんと700qに及びます。(現在はその7割ほどが完成)
そしてこの壁は、イスラエルとパレスチナの境界に建設されているのではなく、壁の90%以上がパレスチナ内部に侵入し、彼らの土地を奪いながら建設されているという事実があります。そんな状況を受け、2003年には国連決議で建設中止・撤去の決議が採択されましたが、イスラエルはそれを無視し現在も建設を進めています。
またパレスチナ内部にはイスラエルの政策によってユダヤ人の入植地が多数存在し、その入植地を守るために、入植地のあるパレスチナの町の内部にもこの壁が建設されています。そのため、パレスチナの人々の家と農地が分離され、土地を有効活用できなくなっていたり、壁の存在によってパレスチナ内部の町と町の交流(教育、経済、文化など)が円滑に行われなくなっているというような様々な問題が起こっており、力に勝るイスラエルによるパレスチナへの抑圧が年々強くなっています。
さらに、イスラエルの人々は自由にこの壁を通過することができるのに対して、パレスチナの人々は特別な許可がなければイスラエルに立ち入ることができません。イスラエルで働いている人、農地を持っている人、病気治療の人、30歳以上の人に限られます。パレスチナの人々は聖地エルサレムへも自由に往来ができないどころか、日々の生活においてもイスラエルの監視の元、不自由で大きなストレスのかかる生活を送らざるを得ない現状なのです。
そんなパレスチナの現状を世界に伝えるため、パレスチナ側の壁には、非常にメッセージ性のあるペイントが描かれています。これは、パレスチナの人々、平和活動家、旅行者などによって描かれたもので、社会風刺画を世界各地に描く覆面芸術家として有名なバンクシーのペイントもあります。どのペイントからもパレスチナの人々が経験してきた歴史や深い嘆き、苦しみ、抵抗心などを感じ取ることができます。
ベツレヘムを訪れた後、バスでさらに1時間程の距離にある、ヘブロンという町も訪れました。
この町は前回の記事でもご紹介した、アブラハムという聖人のお墓がある場所で、ユダヤ、イスラム双方の聖地です。特にユダヤ教ではエルサレムに次ぐ聖地と考えられていることから、急進派が強引に入植を進め、パレスチナ内では最も両者の衝突の激しい町となっています。20世紀に入ってから何度も両者間で虐殺や武力衝突が起きており、町を訪れると、エルサレムやベツレヘムに比べ、緊張感のある雰囲気を感じました。ヘブロンを訪れる観光客はあまり多くなく、私と共に行動した旅仲間も現地の人に声をかけられ、自分たちの生活について話をしてくれました。
ヘブロンにはイスラエル人、パレスチナ人が同じ地区に住む地域があり、建物の上層階にいるイスラエルの入植者の嫌がらせがひどいこと、イスラエル軍や入植者は武器の携帯が許可がされているので、自分たちが不穏な行動を取ると最悪の場合射殺をしても良いとされている(実際に殺された友人もいる)ことなど、衝撃的な話を聞きました。そしてぜひあなた方が、このヘブロンやパレスチナの現状を世界に伝えてほしいとおっしゃっていました。ニュースでパレスチナでの衝突について耳にして、状況は頭で理解していたつもりでも、実際に当事者の顔を見て、その悲痛な眼差しで訴えかけられると、自分の思考は停止し、感じたことのない恐怖と自分の無力さに呆然としました。
この町で感じた、町全体が発する暗くて深い、何かが重くのしかかってくるような、妙な感覚が一生忘れられません。
ヘブロンを訪れた次の日、エルサレムからバスで1時間ほどの場所にある、イスラエルのテルアビブに移動しました。
テルアビブはイスラエルの事実上の首都で、首都機能の置かれた都市ながら、地中海に面した美しいビーチのある、リゾート地でもあります。日本ではあまり知られていない場所ですが、ヨーロッパの人々には手軽に訪れることのできる、人気の観光地です。イスラエルという国のイメージはみなさまそれぞれだと思いますが、ヨーロッパの都市と変わりのない洗練されたこの都市で時間を過ごしてみると、イスラエルのイメージがガラリと変わります。
夕暮れ時に海岸線を歩くと、友人と釣りを楽しむ人がいたり、ベンチでは肩を寄り添い合うカップルがいたり、すぐそばの芝生公園では野外ヨガ教室が開かれていたりと、この街で過ごしてみて、あくまで僕の感じたことですが、テルアビブの日常はまさに「平和」そのものなのです。
エルサレムの、さまざまな宗教の人々が入り混じりつつも、聖地らしい「厳かで静か」な雰囲気、パレスチナの現実から発する「重い」雰囲気。それに比べここテルアビブで感じた「平和」な雰囲気が僕は異様で、つい昨日見た光景と今日見ている光景には、あまりの差があることに、そしてそれらは互いに実際にはバスで数時間の距離しか離れていないという現実を、私の頭が理解することは簡単なことではありませんでした。
私はジャーナリストでもなければ、イスラエルやパレスチナに友人がいるわけでもありません。そんな私がこの問題の部分について多くを語る資格もなく、語れる自信もありません。しかし、一旅行者ながら、イスラエル・パレスチナを実際に訪れた身として、そこで見て、感じたことを多くの人に伝えないといけないと強く感じたので、この記事を書くに至りました。
さまざまな要因が絡み合うこの問題の解決策を、私が提案するようなことは到底できそうにありませんが、この問題に関心を持ち続け、考えることがまずは自分にできることだと思っています。私が感じていたように、みなさまがイスラエル・パレスチナ問題を「遠い国の話」だと感じられたとしても無理はありませんが、私たちの生活の身近にあるいくつかの企業のお金が、イスラエルを支援し、パレスチナの人々の自由を奪っていることにつながっている可能性があります。「無関心は罪」「愛の反対は無関心」だという言葉をどこかで聞いたことがありますが、私たちの知らないところで「遠い」と思っている世界は実は「近い」場所に存在していることを認識する必要があると思います。
前回に引き続き、長文をお読みいただきありがとうございました。
イスラエル・パレスチナにおける本当の意味の「平和」が訪れることを祈って。
三寳寺 田 畑 智 英
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