人生をより豊かにしてくれる大きな要素の一つが、人との出会いだと思います。旅も然り。現地の方や旅人など、旅先でのたくさんの出会いが私を成長させてくれました。そんな旅先での出会いの一端をご紹介させてください。
南米・パラグアイにて。旅先で旅人と出会うと、どこから来たか、どういう旅をしているか、自分の国で何をしているかなどなどお互いの身の上話をよくしますが、ある日到着した日本人宿で、いつものように旅人たちと話していると、その中の1人の女性といくつかの共通点がありました。まず年が同い年、そしてキャンパスは違うが同じ大学所属。これは共通の友人がいるかもしれない!ということでFacebookで友人になり、共通の友人を検索してみると20人程の共通の友人がいました。その多さにビックリ。しかも私の親友と大学のクラスが一緒とのこと。
テンションがどんどん上がり、私の親友に、その女性と出会ったことを連絡してみました。すると『彼女もお前と同じぐらいの時期に世界一周に行くっていうてたから、事前に紹介しようかなと思ったこともあるんやけど、なんとなくどっかで2人が出会うような気がしたから紹介しんかった、そしてそれが現実になったことに震えてる。ほんまの巡り会いってこういうことやな』と返事をくれました。親友らしいその返事と、運命的な出会いに感動しました。
中東・ヨルダン。ヨルダンで最も有名な世界遺産、ペトラ遺跡にて。お土産物を観光客に売るこどもたちに出会いました。彼らは「ワンダラーワンダラー(1ドル)」と口々に、ポストカードやペン等のお土産物を見せながら、観光客を取り囲み売ろうとします。しかしお世辞にもきれいとは言えないこどもたちの身なりを見て、多くの観光客たちは眉をひそめ、彼らを手でシッシと追い払うようなひどい扱いをします。彼らもそんなことは慣れっこなので、全く表情を変えずに、次から次へと違う観光客のもとへ向かっていきます。
私も多くの国でこのようなこどもたちと出会ってきました。その時にどうすべきなのかということについては人によって様々な意見があるかと思います。私はこのとき、子どもたちからお土産を買った後に遊んでみることにしました。彼らは私の持っていたカメラに非常に興味を持っていたので、私は簡単に撮り方を教えてあげて、一緒にいろんな写真を撮りました。するとロボットのように無表情でお土産を売っていたのとはまるで別人の、無邪気でキラキラした笑顔を見せてくれました。その瞬間、私は気付きました。「そうか、彼らに足りないのは「愛」なんだ。」
エジプトの首都、カイロにて。ピラミッドを見に行くために、カイロ市内からピラミッドのあるギザまで、地元の人が使う安いローカルバスで行こうとしていたのですが、乗り場が多すぎるのと、表記が全てアラビア語だったので、さっぱりわからず迷っていると、1人の青年が声を掛けてくれました。私が「ピラミッドのあるギザに行きたいけど、どこから乗っていいかわからない」と言うと、彼は親切に乗り場まで連れて行ってくれて、なんとバス代まで支払ってくれました。私は申し訳ないので断ったのですが、彼は「今度日本で私と会った時は、私を助けてね。人生は巡っているのさ」と言い残し、去っていきました。彼の紳士的な対応と素敵な考え方に、非常に心打たれました。
モロッコの長距離バス車内にて。日本人の若いご夫婦らしき方がいたので、声を掛けてみると、3年間かけて夫婦で新婚旅行世界一周中とのこと。旅の話をいろいろと聞いて、その後バスは目的地に着き、それぞれ宿を予約していたので、お互いの旅の安全を祈って別れました。
その約2週間後。私はモロッコ〜イギリス〜イタリア〜ギリシャ〜トルコと旅をして、ヨルダンの首都アンマンにいました。街中を歩いていると、前から見覚えのある夫婦がこちらに向かって歩いてきました。私は手を振って遠くから名前を呼ぶと、あちらも嬉しそうに近づいてきてくれました。そして少し話をして、またお互いの旅の安全を祈り、別れました。
2度あることは3度ある。その後、私は1週間ほどかけてヨルダン〜イスラエル〜エジプトと旅を続け、王家の谷で有名な、ルクソールという町の古代神殿を散策していました。するとまた目の前に、見覚えのある夫婦が。3度目のこの出来事にはあまりにも驚き過ぎて、あり得ない現実を前に、もはや笑いがこみ上げてきました。
考えてみてください。もしみなさんのご友人が日本であれ、海外であれ、自分が訪れた町に、同じタイミングで偶然いたとしても、その友人に会えるかどうかはわかりません。むしろ会える確率の方が会えない確率よりも遥かに高いはずです。そんな中、数千キロも離れた3つの違う国、3つの違う町で、偶然また再会できるなんて、言葉では到底言い表せない、何とも言えない不思議な感覚を覚え、人生とは本当におもしろい!と強く思いました。
インド、仏教の聖地ブッダガヤにて。ブッダガヤを訪れる前、インド滞在の7日目ぐらいに、ガンジス川の沐浴風景が有名なヴァラナシという街で、出会った青年に睡眠薬を盛られ、一眼レフと財布(現金やクレジットカード等々)を盗まれ、散々な思いをしました。そんな傷心の私の心を癒してくれたのが、お釈迦様が悟りをひらかれたブッダガヤという地であり、出会いでした。
インドでは仏教聖地を巡り、主に日本寺に泊めさせていただいていたのですが、ブッダガヤにも日本のお寺と宿坊があると聞き、訪れてみました。日本のお坊さんがいらっしゃるかなと思っていたのですが、インド人のスタッフしか今はいないということだったので少しがっかりしたのですが、スタッフの方と話していると、なんと翌日に日本からお坊さんが来るとのこと。なんたる偶然!そしてその翌日に出会ったのが、このメールマガジンのお話をご紹介いただいた、清水上人でした。旅の話やブッダガヤの話、またご飯を作って食べたり、そして何より本堂で浄土宗のお勤めを一緒にさせていただいたことは生涯忘れません。旅を始めた時には、まさかインドで浄土宗のお坊さんと出会い、ブッダガヤで一緒にお念仏をお称えできるとは思っていなかったので、これも一重にお釈迦様がつないでくださった、有り難い宿縁だなと感じています。
(清水上人の投稿は、願成寺様のメールマガジンバックナンバー2013年4月15日以降をご参照ください)
半年間の旅で、本当にたくさんの方と出会い、様々なことを感じ、学びました。日本で過ごす半年間に比べると、何倍もの出会いがこの半年間に凝縮されていました。その分、強烈に記憶に残り、何年経ってもその情景は薄れることはありません。
様々なアクシデントや、二度と味わいたくない程の嫌な出来事さえ、ここでこの人と、まさに今このタイミングで出会うために、この出会いをよりドラマチックにするための手助けをしてくれているんじゃないかと思う程、素晴らしい出会いに恵まれました。
旅は、「出会い」と「別れ」の連続。一期一会かもしれないその出会いの中で、相手に何を伝え、残し、相手から何を受け取るか。1人との出会いが1人の人生を変える。私はそう信じて、これまで出会った人に、そして未来に出会う人に何か良い影響を与えられる人間でありたいなと思います。
旅の、いや、人生の醍醐味は「人との出会い」です。
出会ってくれた全ての人に、心から、ありがとう。
三寳寺 田 畑 智 英
|