私の寺は、東海道線から100メートルほど離れたところにあり、子どものころから電車に親しんで育ってきた。すでに電化されていたので、電気機関車に引かれた「つばめ」や「はと」を見ていたように思う。
一番の思い出は、二桁の数字を数えられるようになると、貨物列車の牽引車両の台数を数えるのがとても楽しみであった。今と違って、貨車一両の長さが短かったので、台数が多かったようである。
また駅が近いためであろうか、貨物列車が信号待ちをする。今にも止まりそうであるが、わずかに動いているのである。一度止まってしまうと、再稼動に莫大なエネルギーが必要となるからだと聞いたが。再び貨物列車が動き出すと、「ガシャン、ガシャン」とつぎつぎに連結器が声を上げる。それは車両の数だけあり、だんだんに間隔を縮めていく音のオーケストラに感動したものである。
昔も今も、鉄道は眠らない。夜中に、明け方に、微かに聞こえてくる列車の音は快いものであった。おおかたは貨物列車であるが、最近はほとんど聞こえてこない。近隣が騒がしくなったのもあるが、単に私の耳が遠くなったのである。
自分を「鉄ちゃん」とは思わないが、電車に乗るのも見るのも大好きである。身延線に乗った。富士駅から甲府駅まで39駅を特急で1時間44分かけて走る。ちなみに普通電車は2時間40分余りである。営業距離数が88.4kmであるから、平均時速50kmで車よりも遅い。特に山間では安全運転とはいえ、自転車よりも遅いのではないかと思われるスピードである。きついカーブでは、車輪とレールが擦れるためであろうか、「キィー」と悲鳴とも思われる音も加わる。
身延線は、富士山と南アルプスのあいだを流れる、富士川右岸を北上する。国道は富士川を何度も渡りながら北上するが、身延線は富士川の富士山よりの山肌に縫って、時には山すそを切り開いて、そしてトンネルを抜けての北上である。さぞかし工事は難航したであろうことは、想像に難くない。
その昔、鉄道の開通は必ずしも歓迎されたわけではない。三島も、宿場町が廃れると、鉄道の駅を追いやった苦い経験を今でも忘れない。こうした駅は、全国にたくさんあるという。
山あいの集落でも同じで、鉄道を嫌ったという。山に挟まれ、河川の両わきの僅かな平地が、唯一の耕作である。それでなくとも、日の出は遅く日の入りが早く、日照時間が少なくて、過酷な農業を強いられている。そんな貴重な土地に、役に立つかわからない鉄道などとんでもない話であったわけである。
そんな歴史を思い出しながらの車窓の風景は、新鮮で楽しい。駿河甲斐の人々の思いに馳せながらの、列車の旅は楽しいものである。
【東海道本線電化】
東京口では客車普通列車が電車化され“湘南電車”の運行が開始されている。 1956年(昭和31年)、東海道本線全線の電化が完成した。 これによって特急「つばめ」「はと」は東京駅 - 大阪駅間7時間30分となる。 ... 1960年(昭和35年)には「つばめ」「はと」も電車化され、従来の展望車に代わるパーラーカーが連結された。wikipedia
【鉄ちゃん】てっ‐ちゃん
俗に、男性の鉄道ファンをいう。→鉄子
JapanKnowledge, https://japanknowledge.com/ , (参照 2018-06-13)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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