新聞が特集記事で、読者に「冬と夏、どちらが好きですか?」と訪ねた(朝日新聞1月26日be between)。昨春、春秋対決では春が好きな人が6割という結果だという。そこで今回は冬と夏になったそうである。
夏が好きな人が62%で、その理由の1位が「寒くない」とあり、冬が好きな人の理由が「暑くない」である。夏が好きな人が夏にしたいことは、「旅行」「ウォーキング」「花火」「山歩き登山」「家でボーッとする」、冬が好きな人が冬にしたいことは、「鍋料理」「読書」「家でボーッとする」「旅行」「ウォーキング」である。
「花火」と「鍋料理」以外の回答は、季節に関係ないもので、いささか設問に問題があるようにも思う。
春秋には両者に共通性があるので、いずれかを選択する意義があるが、夏冬には季節の一つということ以外に共通性がないのであるから比較しても意味がないであろう。ちなみに日本で最大の項目数を持つ『日本国語大辞典』(小学館)で「春秋」ふくむ言葉は26項目であるが、「夏冬」は3項目である。「夏冬」はほとんど使われていないのである。
「スイカ」と「みかん」と、どちらが好きかと訪ねているようにも思う。ともに果物であるが、比較する意味を見いだせない。あえて比較するのであれば、同じ季節の果物である「みかん」と「りんご」であるならば、まだ理解できるが。
我が国では「春秋」については、古くから優劣が論じられている。万葉集では四季の歌が詠まれ、圧倒的に秋の歌が多い。その傾向は、古今和歌集をはじめ勅撰集でも同じという。歓喜を表現する歌はあまり面白くなく、感傷と悲哀を吐露する歌はやはり秋であろう。
源氏物語でも、春の館に紫の上が住み、秋の館には秋好中宮が住み、春秋論がたたかわされる。
「春秋の争ひに、昔より秋に心寄する人は数まさりけるを、名
だたる春のお前の花園に心寄せし人々、またひきかえし移ろ
ふ気色、世の有様に似たり。」
兼好法師は『徒然草』のなかで、
「もののあはれ は秋こそまされと、人ごとに言ふめれど、そ
れもさるものにていま ひときは心も浮き立つものは、春の気
色にこそあめれ」と指摘した。
また、清少納言は『枕草子』冒頭で、
「春はあけぼの(がよい)」「夏は夜(がよい)」「秋は夕暮
れ(がよい)」「冬はつとめて(早朝がよい)」
また川端康成はノーベル賞記念講演で、
「雪、月、花」という四季の移りの折り折りの美を現わす言葉
は、日本においては山川草木、森羅万象、自然のすべて、そし
て人間感情をも含めての、美を現わす言葉とするのが伝統なの
であります。
そして日本の茶道も、「雪月花の時、最も友を思う」のがそ
の根本の心で、茶会はその「感会」、よい時によい友だちが集
うよい会なのであります。
と、四季それぞれの素晴らしさを指摘して、四季を愛でている。
おおかたの季節観は、四季それぞれを比較するのが目的ではなく、それぞれの素晴らしさを表現しているといえよう。
四人の子どもがいたとしよう。「どの子が一番よい子か?」「どの子が好きか?」の設問がいかに愚問であるかは明確のことである。
四季の移り変わりが、私たちの心を豊かにしてくれることに感謝したいものである。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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