5月30日、恒例となっております施餓鬼会法要がおこなわれた。
施餓鬼会法要について、浄土宗のホームページから引用させていただく。
本来、施餓鬼会の期日は定められていませんが、お寺の
年中行事のひとつとして、お盆の頃におこなわれることが
多く、施餓鬼棚に「三界万霊牌」や初盆の戒名を記した位
牌を置き、浄水や食物を供え、五如来の「施餓鬼幡」を立
てて法要を営むのが習わしです。
施餓鬼会は、無縁仏や餓鬼に施しをするとともに、新亡
の霊や先祖代々の諸霊を供養する法要でありますが、さら
に日頃の自分自身に巣くう「餓鬼」の心を反省し、自他と
もに生かされている身をしっかり受け止め、救われる功徳
をお互いに積んでいくことが大切なことであります。
餓鬼供養には、いろいろな思い出がある。学生の頃であるが、総本山知恩院で研修があり食事がでた。ご飯は丼飯でお代わりはない。作法は、合掌して「いただきます」のあと、どんぶりの蓋を取り脇に置く。まずご飯を一口取って、蓋に置く。みずからの食事を割いて餓鬼に施すのである。すべてを食べ終えると、餓鬼に供えたご飯も残らずいただくという次第である。
何年も前のことであるが、お檀家さんと中国の五台山にお参りに行った。旅行業者を通じて、お布施10万円での法要を依頼しておいた。すると、何と100人近いお坊さんによる豪華な法要となったのには、たいそう驚かされたが感激の極みであった。
翌日のホテルの朝食にお坊さんに来ていただき、食作法によるお食事であった。作法が終わると、食べ物を外に持っていき、まず餓鬼に施すのである。そして豪華な精進の朝食が始まった。私の隣が中国のお坊さん、日本語のできないお坊さん、中国語のできない私、お互いの意思の疎通はない。お坊さんと同じように、食べすすめていくと、食べ終えた器をそっと前に出された。フィニッシュかと思い、私も同じように前に出した。昨夜、参加者のお誕生日でいささかお酒を飲みすぎていたので、これで終わりかと安堵していたら、ボーイが飛んで来て、すぐにお代わり注ぐではないか。器を前に出すのは、お代わりをお願いする作法であったことに気がついたときは、後の祭りであった。
五台山は標高3,000mの高地であり、高地でのお酒は思ったより効くことも学習した。
法要の折、盛り団子が供えられる。上新粉を水で練り、20個均等に分け、ピラミッド型に盛り、蒸し上げて完成である。練りの堅さと、お団子の大きさが同じようにすることが肝心である。文章で書くのは簡単であるが、いざ作るとなると難しいものがある。
母親の法要で、高校生の娘さんがお団子を作ってきてお供えをした。今にも崩れそうで、お経読んでいるあいだ、ずっと崩れないことを祈ったこともあった。
じつは盛り団子を作るときは、2つほど余計に作り、ピラミッドの脇に添えるのが習慣であった。これも餓鬼の供養のためである。昨今、業者によるお団子がほとんどであり、そこには餓鬼のための2つはないのである。
有り余ったものを他人様にあげるのでなく、身を割いて差し上げるところに価値があるのであろう。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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