大学では日本文学科に所属して、いろいろな内容の講義をしてきたが、「文章の書き方」や「源氏物語」の講義が印象に残っている。今回は、源氏物語の講義について書こう。寺でも文学講座と称して、月2回の講義をおこなっている。
入学して、父の友人である教授に呼ばれて、指導を受けた。「人がやらないことをやりなさい。人と同じことでは、芽が出ません。」という。寺の息子でもあるし、「仏教文学」をテーマとした。
帰省した折りに父に話すと、「人のやらないことは、つまらないことだ」という。私にとっては、大きな命題となった。
学部と修士課程では、仏教説話集である「日本霊異記」を学んだ。文学は自己の自我に目覚め、自己の世界を構築することが目的である。一方、仏教は、自己の世界から解脱することを目標にしており、文学と仏教とは、あい入れない存在である。難しい学問であると思った。生涯の課題とも思える。
博士課程になると、ふたりの教授から源氏物語を学んだ。どうして人々は、源氏物語に魅了されていくのであろう。父の言葉が再燃してきた。
博士課程は、毎年一人か二人の入学であり、時には入学者のない年もある。したがって、受講者は私ひとりの授業もある。受講者が3人いれば、下調べも単純に三分の一になるが、ひとりの授業は、下調べ、教科書を読むこと、発表と、すべてが私の仕事となる。
あるとき、光源氏の元服の場面であった。「元服とは何か」と問われ、「成人式」と答えると、調べてくるようにとの指示を受けた。源氏物語の時代、元服は結婚を伴うことを学ばせたかったのである。次の授業で発表しようとすると、「発表はいらない。俺は知っている。君が知らないから調べるように言った。」とのことである。
一対一の授業であるから、欠席するときには、前もって先生宅への電話が必要である。学期末に試験について訪ねると、「試験はしない。君の実力はわかっているから。」との返事であった。
つらい授業であったが、源氏物語が生涯の研究対象となった。今、源氏物語の原本はなく、全体を読むことのできるのは室町時代に書写された写本である。私の授業は、写本を読み、活字化する作業「翻刻」である。30人ほどの学生が、写真版の写本を半期(6ヶ月)に、ひとり20頁ずつ担当をする。無論、各自担当箇所は異なる。源氏物語の文字数は、おおよそ100万字といわれるが、全巻の作業に数年が必要である。2回読むことができたことは、私にとっては、喜びであり成果であった。
東京都区民大学、朝日カルチャーセンター、講演会と、そのテーマは源氏物語となった。そして何よりも、お檀家の皆さんと月2回の勉強会を開催いたし、源氏物語を原文で読んでいる。30数年になる。
新コロナウィルス感染防止のため3月から中断しているが、早く再開したいものである。
【日本霊異記】仏教説話集。「にほんれいいき」ともいう。三巻。薬師寺の僧、景戒撰。弘仁年間(八一〇〜八二四)頃成立。雄略朝から嵯峨朝に至る因果応報説話一一六篇を、ほぼ年代順に漢文体で記述。日本最古の仏教説話集。正称は日本国現報善悪霊異記。霊異記。
【文学】ぶん‐がく
(─する)芸術体系の一様式で、言語を媒材にしたもの。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など、作者の、主として想像力によって構築した虚構の世界を通して作者自身の思想・感情などを表現し、人間の感情や情緒に訴える芸術作品。また、それを作り出すこと。文芸。
【仏教】ぶっ‐きょう
仏語。仏陀が説いた教え。仏となるための教え。世界三大宗教の一つ。紀元前五世紀、インドのシャカ族出身のゴータマ=シッタルタが悟りをひらいて釈迦牟尼仏となり、教えを説いたことに始まる。人生は苦であると悟り、その原因、解脱(げだつ)の方法、解脱した涅槃(ねはん)の世界を見きわめることを説く。
【解脱】げ‐だつ
({梵}vimoksa, vimukti などの訳語。一般に何らかの束縛から解き放されることをいう)
仏語。迷いの苦悩からぬけ出て、真の自由の境地に達すること。その内容上、さまざまに分類される。げだち。
【元服】げん‐ぶく
(1)古代中国の風習を模して行なわれた男子成人の儀式。年齢は一定しないが、平安時代以降では一二歳頃から一五、六歳までの間に行なわれる場合が多い。公家では、子どもの髪型である総角(あげまき)をやめて初めて冠(かんむり)をかぶり、児童の服の闕腋(けってき)から大人の服の縫腋(ほうえき)に変え、幼名を改め、貴人が理髪と加冠の役に当たった。
(2)女子成人の儀式。一二、三歳から一六歳頃までに行なわれ、初めは「髪上げ」の儀だけが行なわれたが、それに「裳着(もぎ)」が加わり、貴人や親戚の長者が裳(も)の腰紐を結ぶ役をつとめた。
補注
(1)を行なう日時は陰陽師に吉日を勘申させるが、正月一日から七日に行なわれる原則があり、また、時刻もまちまちで、申、酉刻もあるが戌刻がやや多い。その当日には普通、給祿や叙位、宴会を伴う。これを機に結婚することも多かったようである。武家ではこの時初めて甲冑の着初めをする。
【翻刻】ほん‐こく
すでにある本や原稿を木版や活版で新たに起こし刊行すること。特に、写本、版本、外国の本などを木版、活版などで再製すること。翻印。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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