二人目の孫が生まれた。男の子で願成寺第六十一世となるはずである?一人目の女の子の孫が生まれたとき、誕生を記念して「レモンの木」を植えた。もう5歳になる孫は、「私のレモンの木」といって、レモンが好きな子となった。昨年より実を付け始めたので、レモンジュースやレモンパイを作ってあげた。
二人目の孫の記念樹は、「ミカンの木」を植えた。静岡であるので、「寿太郎みかん」である。
ともに誕生したときに2年目の苗を植えたので、じつはレモンとミカンの木は2歳年上となるが、そんなことは問題ではない。
無論、記念樹の管理は私の仕事である。広い境内には、樹齢300年を超える楠木が参道の入り口に一対そびえ立っている。私は願成寺の山門と位置づけている。そのほかにも先代住職が植えた樹木、私が植えた木、そしてお檀家さんから頂いた木、さらに孫ふたりの記念樹と、いずれも大切な木々であり、ひとつとして枯らすわけにはいかない。
ミカンの木は、昨年秋に直径80pほどの大きな鉢に植え、居間のベランダに置いた。すこしでも大きな、すなわち培養土が多いほど良いのであろうと植えたのであるが、ひとりでは鉢の移動ができない。
無事に冬を乗り越えることができ、活着を喜んだ。ところがである。今年の梅雨は長雨で記録的な雨量であり、病気が出ないかと心配であった。さらに夏になると、連日の猛暑で雨量も極端に少ない。
ミカンの木には30枚ほどの葉があったが、この暑さのためであろうか、日に1枚ずつ葉が落ちていくのである。妻が「また1枚落ちたわよ。大丈夫かしら。」いう。朝に晩に見てわかっているが、言われるとさらに心配になる。とうとう5枚になってしまい、この猛暑に負けてしまったのであろうか、憂鬱な日が続く。二人目の孫はまだ1歳半なので何も判らないが、上の子は、弟の木と承知しているので、どのように説明しようかと思い悩む毎日であった。ところが、その後も5枚の葉は散ることもなく、茎も何とか緑色を保っているようにも思える。
お彼岸を過ぎたころであろうか、どうも落ちた葉の付け根に芽のようなものが動き出した。妻が芽を吹いてきたと喜ぶ。葉とともに白い小さな丸いものが、葉ごとに付いている。そして日に日に、すこしずつ膨らんでいくのである。一ヶ月ほどして、花であることが確認できた次第である。5枚の葉で猛暑を乗り越え、花まで付けた「ミカンの木」に感動した妻とわたしであった。
これは如何なる現象であろうか、「ミカンの木」の気持ちを想像してみた。苗木は専門業者によって育てられ、ミカン専門農家には行くことなく、仲間と別れひとりお寺にきたのである。彼には生きる場所を選ぶことはできず、きっと寂しさと不安にさいなまれたことであろう。彼はお寺で活着することに努め、何とか冬を乗り越えた。暖冬がありがたかった。
しかしである。猛暑を迎え、「このままでは枯れてしまう」と悟った彼は、葉を一枚落とすことにした。すこしでも水分の蒸発を防ぐのである。植物の葉は、光合成によって成長のためのエネルギーを作ってくれるものであるが、同時に水分を蒸発させる機能をもっている。彼は成長よりも存命の策にでたのである。だれに教わったわけではなく、ミカンの木先祖代々から受け継いだDNAによったものだ。連日の猛暑のなか、ご主人はきちっと水やりをしてくれるが、春先に伸ばした根ではまだまだ充分に水を吸うことができない。彼は賭けに出た。命を保つため、日に一枚ずつ葉を落とすことにした。厳しい夏で、残りの葉が5枚になってしまい、これ以上落とすことは死を意味する。5枚の葉で耐えることにした。
そしてあと一枚落としたところで、お彼岸を迎え安堵する私であった。台風の上陸もなく爽やかな秋を楽しんでいたが、この夏の経験を思うと「このままで生涯が終わってしまうのではなかろうか」と、また不安になった。「そうだ、花を咲かせよう。そして子孫を残そう」と、各節ごとに花を付けた。
12月にはいって満開のミカンの木である。
しかし、これから冬をむかえる日本では、花を咲かせても結実は無理であろう。そればかりか、10月に伸びた小さな葉も春を迎えられるか不安である。かわいそうであるが、花は摘み取ることにした。少しでも木の消耗防ぐためだ。
4枚の葉と秋にでた小さな葉は、越冬は無理かもしれない。本格的な寒さをむかえる今月の末には、居間のなかに入れることを、妻と相談をしている。
異常気象やコロナウィルスなど、自然の猛威にさらされた1年であったが、ミカンの木が頑張ってくれたことが、この1年のささやかな喜びとなった。
【寿太郎温州みかん】(じゅたろううんしゅう)
沼津市西浦・内浦・静浦で生産されるみかんの代表「寿太郎みかん」は、昭和50年、山田寿太郎さんが、栽培中の青島温州の一部に枝の節間が短く葉色の濃い変異枝(枝変わり)を発見したところから歴史が始まります。
山田さんは、この枝変わりの観察を続けたところ、たくさん実がなり、果実の着色時期が早く、甘みと酸味のバランスに優れた濃厚な味わいのみかんができることを確認しました。
その後、石川温州やカラタチに接木をして苗木を育成し、増殖を図り、「寿太郎温州」と命名しました。
現在では「寿太郎みかん」と呼ばれて親しまれ、沼津市のみかん栽培面積の5割を占めるまでに拡大し、出荷量では平成19年に青島温州を抜いてトップになりました。また、沼津市内では寿太郎温州を使った特産品の開発やマーケティング活動も盛んです。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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