「今年は年末を迎えている感じがしない」という声を良く聞きます。私のような呑兵衛にとっては、あらゆる忘年会が中止になっているのも、理由の一つになっているような気がします。そういったなか、お供え餅と交通安全祈願のお飾りを準備しました。単身赴任生活をしているので、立川自宅用のお供え餅と自家用車のお飾りの他に、三島アパート用のお供え餅と通勤自転車用お飾りも購入してきました。これから年末に掛けて、両住まいの大掃除やお墓の掃除をしていくと、それなりに年末の気分になっていくのでしょう。
以前触れたことがありますが、「サッカーマガジン」という雑誌を1975年1月号から購入し続けていました。今回はその中から、あまりサッカーに詳しくない方でも興味を持っていただけそうな記事について紹介したいと思います。
小学校のクラス担任が作ったサッカーチームに入ったのが、サッカーマガジンを購入する切っ掛けになりました。当時(1970年代)の小学生は、ほぼ間違いなく野球をやっていました。休日には空き地で練習をして、たまに有志チームを組んで試合もどきをするのが日常でした。そのような時代に担任がサッカーチームを作った理由が分かりませんでしたが、自分としては目新しいスポーツに触れるのが楽しく、どんどんのめり込んでいったのを覚えています。
その年の暮れに、初めてサッカーマガジンを買いました。表紙は、「ベッケンバウアー」という選手でした。記事を読んでいくうちに、サッカーチームが結成された1974年は西ドイツでワールドカップ(以下W杯)が開催された年で、表紙の選手は優勝した西ドイツの主将だったということを知りました。1974年がそういう年だったので、担任は一人盛り上がってサッカーチームを結成してしまったようです。今になって思えば、「これからサッカーの時代が来る」という先見の明があったのかもしれません。
1975年1月号には、ペレが来日して「清水」で小学生へのサッカークリニックを行った記事が載っています。当時はサッカーと言えば「清水」「藤枝」だったので、サッカーのイベントと言えば静岡で開催されることが多かったと記憶しています。同号の「海外サッカー情報」には、「東ドイツ」の国内リーグ情報が載っています。W杯が「西ドイツ大会」だったように、今の世の中からは想像できない冷戦時代の様子が伺えます。
1979年10月25日号の表紙を飾ったのは、先日この世を去った「マラドーナ」でした。この年に日本でワールドユース世界選手権(現19歳以下男子W杯)が開催され、19歳だった彼の活躍でアルゼンチンが優勝しました。前年の1978年アルゼンチンW杯でもアルゼンチンが優勝したのですが、18歳の彼は年齢制限のない代表チームに招集されませんでした。初めての世界の舞台で、心に期するものがあったのだと思います。同年代の相手をまるで子どものようにあしらっており、格の違いを見せつけていました。晩年の彼にはあまり良い印象がありませんが、間違いなくベストフットボーラーの一人だと思います。
2011年の夏にドイツで開催された女子W杯では、皆さんご存知の通り「なでしこジャパン」が見事優勝を飾りました。この優勝は、日本が初めて世界サッカー連盟が主催する大会で勝ち取ったという快挙です。3月の東日本大震災の直後だったことから、日本中を明るくしたニュースとして、一般にも大きく扱われていました。専門誌であるサッカーマガジンも、準決勝進出が決定したことを報道した2011年7月26日号から4週連続で「なでしこジャパン」が表紙を飾っています。
主将だった「澤穂希」選手がそのうち2回も登場していますが、流石なのはあの「丸山桂里奈」選手も澤選手と同じく2回も登場しています。今やバラエティ芸人と言っても怒られないほどの活躍ですが、W杯では途中出場が多くあまり目立たなかったにも関わらすの露出度に、そういう星の下に生まれてきた人なのだなと再認識しました。
私が購入を開始した1975年1月号は、月刊誌でした。しかし、その年の6月号から隔週刊誌になり、Jリーブ開幕前年の1992年には週刊サッカーマガジンとなりました。ここで困ったのが、サッカーマガジンの保管場所です。購入当初は1冊/月だったのが、2冊/月になり最終的には4冊/月になってしまったのです。週刊誌ともなれば薄くはなるのですが、押し入れのスペースにも限りがあります。そこで、2000年に家を建て直すときに専用の書棚を作ってもらい、2032年くらいまでであれば棚に収めること出来る様にしました。そんな準備をしたにも関わらず、2013年11月12日号で廃刊になってしまったのです。少し残念でしたが、肩の荷が下りたというか、これから毎週購入しなくても良いんだという安堵感もあったような気がします。
実は、2016年から月刊サッカーマガジンとして復刊しています。しかし、50歳を過ぎてから再度購読を続けるパワーもなく、再購入はしませんでした。廃刊の時の理由の一つに、インターネット時代に週刊では新鮮味が薄れ、価値のある情報提供が出来なくなったとありました。試合の予定や結果を知るためであれば、インターネットで簡単に情報を入手できます。実際にプレーしていれば専門誌から得られる有益な情報もありますが、単なる観戦者になった今では専門誌を購入する意義がなくなってしまいました。
定年後に、バックナンバーの主な記事を抜き出してデーターベース化しようと思っています。サッカー好きは死ぬまで続くと思うので、インターネットには載っていないようなコアな情報を知りたいとふと思ったときに、書棚からお目当ての号を即座に引っ張り出してこれたらこの上ない幸せ、といったところでしょうか。まだまだやることはありそうです。
三島長期単身赴任中
雨 宮 隆
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