改めて、人間の目の素晴らしさに感動を覚える。仮に人間の目と同じ機能をもつ機械を作るとすると、カメラとコンピュータを兼備した装置となるであろうが、きっと人間の何十倍もの大きさになるであろう。
現在のカメラは、焦点(ピント)や明るさ(照度)を自動的に測定するばかりではなく、その数値の変化に自動的に対応していく。シャッターを押せば、だれでもそれなりの写真が撮れるのである。それを象徴するのがスマートフォンのカメラ機能であり、そしてInstagram(インスタグラム)の展開であろう。
人間の目の素晴らしさは、なんといっても、見たいともうものだけが見えるのである。具体的に説明をしよう。新幹線の車窓から、富士山を楽しむ人は多いであろう。朝起きて外に出れば、その日の富士山をみることができるところに住んでいるが、新幹線からの富士山は、スピードのあるその姿の変化を楽しめるからであろう。
しかし、わたしと富士山との間には、瞬間ではあるがビルや看板、電柱や鉄塔と視線を妨げるものの何と多いことであろうか。次から次へと、わたしの観賞を邪魔する。ところが、脳裏には額縁に納まった美しい富士山だけが残り、雑多な景色は消え去っている。物理的に写る写真と、記憶に収まった写真とは、まったく別物である。頭のアルバムには、わたしの見たい景色だけが、見たいものだけが残るという機能が働いているのである。
わたしは写真を撮るのが好きであるが、自分の見たとおりの、図柄、色彩、内容の写真はほとんど撮ることができない。目には勝てないが、自分の感動を写真として、どのように表現するのかに楽しみがあるのだろうか。
ところがである。ある携帯会社から、寺の敷地に携帯用電波塔を建てさせてほしいとの打診があった。お寺の役員会での承認、近隣町内への周知(必ずしも必要ではない)を経て、40メートルの携帯電話中継基地ができあがった。完成までの道のりは、そう簡単ではない。「本堂の後ろに角のように鉄塔が立つと景観が(敷地なので最も遠いところに)」「わたしはそのメーカーの携帯を使っていない(公共的なことですからと理解をいただく)」「電磁波が健康を害すのでは(男の人であれば胸ポケットに携帯、心臓の前ですよね。すぐ側をJRが通っており、架線には1500ボルトがむき出しで、そこからの電磁波と比較すると……)」等、山積する問題をひとつずつ解決していったのである。
携帯電話中継基地の話をいただいてから、新幹線に乗ると、携帯用の鉄塔と高圧電線の鉄塔を探すようになった。三島東京間に無数の鉄塔があり、その形は用途に応じて異なる。そして電力の鉄塔は、当然ながら結ばれている高圧線まではっきりと見えるようになった。夢中になって鉄塔を追いかけると、じつに面白いのである。
携帯電話中継基地の鉄塔ができてから、何年経つであろうか。わたしの心のアルバムは、すべて常に鉄塔付きとなってしまった。トラウマとならなければ良いのであるが。
【トラウマ】
恐怖・ショック・異常経験などによる精神的な傷。それ以後の行動に、強い制限や影響を及ぼすもの。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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