コロナ禍でお寺での行事はすべて中止され、密とならないお彼岸やお盆のお墓参りをお願いしております。年忌法要などはご家族中心で、遠距離の方には無理してのご参加はなさらないようにお伝えいたしております。法要をおこないます場合には、マスク着用、手の消毒は無論のこと、距離を取っての着座、冷暖房の効果が劣ってしまいますが、一部戸を開けての法要がおこなわれております。
コロナ禍での葬儀のおり、耳にいたしますのが、「亡くなっていかれた方と納得がいくお別れができなかった」との言葉です。
ケアハウスに入っておられたお母さまが90数歳で亡くなられた方が、しみじみと話してくれました。
「この一年のあいだ、施設からの要請で面会が、禁止されて おりました」
「今までは、同じ町に住んでいましたので、用事がなくとも 週に一度の訪問をいたしていたのですが」
「高齢のため、子どもや孫の顔を忘れてしまうのではないか と心配でした」
「面会が許されるようになりましたのは、亡くなる少し前で した」
「高齢でもありますので、年に不足はないのですが、若くし て夫に先立たれ、50年間ひとりで頑張ってくれた母、寂し く亡くなっていかれたことが残念でなりません」
ぽつりぽつりと話される息子さんを前にして、私たち僧侶は、お話をお聞きするしかできないもどかしさを感じました。
また、連れ合いの方が入院され、やはり面会は許されず、携帯でのやりとりでした。一ヶ月ほどして、携帯が繋がらなくなりましたので、病院に問い合わせますと、
「呼吸が苦しそうなので、酸素マスクをしています」の返事。
「面会が許されたときには、口をきける状態ではなく、最期 を見届けました」
「定年も過ぎており、毎日でも会って話をしたかったのです が、できませんでした」
「寂しい別れでした」
コロナウィルスに感染された方のお葬儀も務めさせていただきました。厚生労働省の「新型コロナウイルス感染症により亡くなられた方及びその疑いがある方の処置、搬送、葬儀、火葬等に関するガイドラインhttps://www.mhlw.go.jp/content/000653447.pdf」とはかけ離れたものでした。親族のコロナウィルス感染入院の知らせがあり、その後亡くなられたとの連絡、火葬場でその日の最後に火葬され、業者の方からご遺骨を受け取ってきたそうです。
本堂でご葬儀をいたしました。ガイドラインによりますと、もっともっと亡くなられた方に寄りそった最期を迎えることができるようにも思えるのですが、現実はまったく別なものでした。
いまコロナ禍によって、「最期のお別れ」が著しく寂しいものとなっております。宗教者として、僧侶としてできますことは、その方のお気持ちになって伺うことしかありません。
新緑に萌える境内が、わずかに癒やしてくれます。くしくも5月4日は「みどりの日」です。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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