静岡県公式ホームページ上の「新型コロナウィルス感染症関連情報」に「東京都などの新規感染者多発地域からの静岡県訪問自粛」とありますが、「通勤/通学目的の訪問は対象外」という内容が4月中旬に追記されました。これを受けて会社から出社許可が出たので、4月20-22日に出勤したのですが、翌週の4月26日から東京都を含む複数地域に緊急事態宣言が発令されたため、再び在宅勤務になってしまっています。4月の三島勤務は「まぼろし〜」に終わりました。
私は、2015年5月13日に父親を亡くしています。今年は6年目の命日を迎えるので、七回忌法要の年です。新型コロナ禍もあり、高齢になっている私の叔父/叔母たちは呼ばず、息子と娘も仕事の関係で都合が付かなかったため、母と妻と私の3人だけで5月6日に執り行いました。
菩提寺は、臨済宗 建長寺派 玄武山 普濟寺になります。立川一帯を領有していたと言われている立川宮内少輔宗恒が、1353年に鎌倉建長寺から物外可什禅師を招いて開山されたそうです(出典:普濟寺HP)。1995年に不審火による火事に見舞われて重要文化財だった木造物外可什禅師坐像を含む本堂を焼失してしまいましたが、「六面石幢」という立川唯一の国宝が無事だったのが不幸中の幸いです。2004年に新しい本堂が完成し、その後山門から本堂に向かう太鼓橋も完成して、現在の姿になっています。
当日は住職のご都合が合わず、住職の娘婿だという副住職にお経を唱えていただきました。お経の前にいただいたお話は、ご自身の修行にまつわる内容でした。禅修行道場を持つ、埼玉野火止の平林寺で修行されたそうで、そのお寺ではお坊さんだけではなく参列者もお経を唱える習わしがあったそうです。副住職にとって初めての経験だったそうですが、たくさんの方が唱えるお経は迫力があり、またお経というのは残された人たちに向けたものなので、自身で唱えるというのはとても良いやり方だということを学んだそうです。
今回は般若心経を我々3人も唱えさせていただき、よい経験になりました(迫力はありませんでした)。
その後はお墓参りをしたのですが、3人しかいないため数分で終了。車で精進落としのお店への移動です。どなたかの旧邸宅をお店にしているところで、入り口にはまだ表札が残っていました。通された個室は洋客間として使用していたらしい作りで、部屋から見える庭園もとてもきれいでした。緊急事態宣言中だったのでアルコール飲料の提供はなし。お造りをお茶で頂くというさみしい食事になりましたが、何はともあれ、3人の体調も変化することもなく無事に法要を終えられてホッとしています。十三回忌の時は、以前のように行えることを祈っています。
珍しい名字を見つけながら昼の散歩をしていましたが、昼休みの時間に許される行動範囲は限られているので、そろそろ底をついて来ました。そんな中、名字ではないのですが散歩中に面白いものを見つけたので紹介させていただきます。「石敢當(いしがんとう/せっかんとう など読み方は複数存在)」というものをご存知でしょうか?
沖縄や鹿児島で多く見掛けるものらしいですが、一言でいうと「魔除け」とのことです。これらの地方では、魔物のことを「マジムン」と呼んでいて、直進しかできないと言われているそうです。なので、T字路や三叉路の突き当りから「マジムン」が入らないようにこの「石敢當」を置く風習があるようです(出典:Wikipedia)。このお宅の名字は沖縄っぽくありませんでしたが、沖縄か鹿児島出身の方が住んでいらっしゃるのだと推察しています。
5月は私の誕生月になります。生まれ月が定年退職月になるので、あと一年になりました。在宅勤務のまま定年を迎えるのではないか、と冗談を言っていましたが、本当にそうなってしまうかもしれないと思ってきました。
オリンピックのチケットを持っていますが、今のままでは開催するのは難しそうです。ネガティブなことしか頭に浮かびませんが、いつかは元通り、またはそれに近い生活が出来る様になるはずです。それまでは大人しく過ごすことにします。皆さんもご協力をよろしくお願いします。
【物外可汁】 もつがいかじゅう
博多崇福寺/鎌倉建長寺の住持を歴任した、鎌倉時代後期から南北朝時代の臨済宗の僧侶。(出典:Wikipedia)
【六面石幢】 ろくめんせきどう
立川唯一の国宝で阿金剛・吽金剛の仁王像と、持国天・増長天・多聞天・広目天の四天王像を、それぞれ緑泥片岩の板石に刻み、この六面を六角の柱状に組み合わせ、六角形の笠石と台座で固定した石幢。「延文六年辛丑七月六日施財性了立道円刻」の銘があり、造立年代は、刻文により延文六年(1361年)7月6日と知られる。(出典:普濟寺HP)
三島長期単身赴任中
雨 宮 隆
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