5月29日、願成寺お施餓鬼法要が厳修(ごんしゅ)された。
おせがきの由来
施餓鬼会は、誰からも供養してもらえない餓鬼に飲食を施
し、供養することを第一の目的とします。そして、その功徳、
を先祖代々の霊位にふりむけ、極楽浄土でやすらかに暮らせる
よう念じ、みなさんの福徳延寿を願うものです。この施餓鬼会
の由来については『救抜焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがき
だらにきょう)』に次のように説かれています。
お釈迦さまの弟子の一人である阿難尊者(あなんそんじゃ)
の前に、口から火を吐き、やせおとろえた恐ろしい姿の餓鬼が
突然あらわれました。餓鬼とは、生前の悪業の報いで、飲食が
自由にならず、飢えに苦しむ世界に堕ちた亡者のことです。
その餓鬼が阿難に「おまえは3日後に死に、餓鬼の世界に生
まれる」といい、「助かりたいなら餓鬼に施しと供養をしろ」
と告げました。
驚いた阿難が、お釈迦さまに相談したところ、お釈迦さまは
餓鬼の供養の作法を阿難に授けました。阿難はお釈迦さまがお
っしゃったとおりに餓鬼に飲食を施し、供養を行うと、餓鬼は
極楽に転じ、阿難は福徳を増し、寿命を延ばすことができたと
いうことです。(浄土宗パンフレットより)
コロナ禍であり、宗派の指導にしたがって、他寺院のご随喜は遠慮していただき、願成寺の役員の方のみの参列をいただき執り行われた。導師は、今回初めて副住職が勤めた。お檀家さんの皆さまと一緒におこなってこそ、法要の意味があると思うだけに、寂しさは禁じ得ない。
お檀家さん参列を辞退していただき、住職だけの法要が2年になる。葬儀と年忌法要以外の行事は中止しており、この先宗教界そして寺院社会はどうなっていくのであろうかと不安に思うことこのうえない。
お施餓鬼法要の申込は郵送のみでおこなっており、その申込が減っていくのではないか思われたが、杞憂であった。わずかであるが、微増していることに大きな元気をいただいた。
新型コロナウイルスの撲滅を祈り、自分でできる感染予防に精進していきたい。
【厳修】ごん‐しゅ
きびしく修めること。
*連環記〔1940〕〈幸田露伴〉「恵心はまた頭陀行を厳修したので、当時円融院の中宮遵子(ゆきこ)の御方は、新たに金の御器ども打たせたまひて供養せられたので」
【杞憂】きゆう
無用の心配、取り越し苦労をいう。中国、周の時代の杞の国(現河南(かなん/ホーナン)省開封(かいほう/カイフォン)のあたり)に、いまにも天が崩れ落ちて、身の置きどころがなくなると心配し、寝食を忘れて憂えた人があり、この人を心配して、天が落ちてくることなどはないと、いろいろ説明して、ようやく納得させた人がいた、と伝える『列子』「天瑞篇(てんずいへん)」の故事による。「杞人の憂」ともいう。(ニッポニカ)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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