メルマガ用の資料を整理していると、『サライ』が聖天さまにお供えする唐菓子「清浄歓喜団」の紹介記事があり、懐かしく思った。新しい記録を見つけたので改めて書くこととした。
総本山である知恩院から円山公園を通り抜け、八坂神社を下がったところに、「清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)」を販売している亀屋清永がある。知恩院参拝の後、しばしば立ち寄り京菓子を楽しみ、ときには「清浄歓喜団」を購入することもあったからである。
HPによると、
奈良時代に伝わった唐菓子の一種「団喜」です。略して
「お団」と呼ばれています。 数多い京菓子の中で、千年の
昔の姿そのままに、今なお保存されているものの一つで、
この「清浄歓喜団」なしに和菓子の歴史を語ることはできま
せん。
亀屋清永はこのお菓子を製造する日本で唯一の和菓子処
です。
「清め」の意味を持つ7種類のお香を練り込んだ「こし餡」
を、米粉と小麦粉で作った生地で金袋型に包み、八葉の蓮華
を表す八つの結びで閉じて、上質な胡麻油で揚げてありま
す。
品がなくお店には失礼であるが、「お香の味がする餡を八ッ橋で包み、胡麻油で揚げたお菓子」といえば、解りがよいであろうか。
つい先日までは、「しょうじょうかんきだん」と読むのかと思っていたが、お店が「せいじょうかんきだん」というのであるから、それが正しいのであろう。「清浄」をいかに読むかであるが、「セイ」は漢音であり、「ショウ」は呉音である。辞書によると、
【清浄】しょうじょう
(1)清らかでけがれのないこと。また、そのさま。せいじょう。
(2)仏語。煩悩や悪行がなく、心身の清らかなこと。また、その
さま。
【清浄】せいじょう
(1)(形動)清らかでけがれのないこと。また、そのさま。しょ
うじょう。
(2)数詞の一つ。きわめて小さい数の単位で、10の-21乗にあた
る。
とあるので、その趣旨からいくと「しょうじょうかんきだん」のように思うのだが。
ところで、私はお寺で「源氏物語」の写本で講読をおこなっている。その写本の編纂にあたったのが、室町時代後期16世紀はじめに活躍した三条西実隆である。かれはその生涯を綿密な膨大な日記『実隆公記』を残している。必要があって読んでいくと、何と「清浄歓喜団」の記載がしばしば見られるのである。
この時代、聖天(歓喜天)信仰は、盛んであったように思う。実隆は、毎月といってよいほど、歓喜寺に参拝をしている。自分が行けないときには代理に参詣させている。
公記永正四年正月八日「聖護院、歓喜団十賜之、頂戴祝著々々」とあり、聖護院から歓喜団10個を賜り、祝著々々(しゅうちゃく)とたいそう喜んでいる。翌年の同じ日にも、聖護院から賜っている。その二十二日には梶井宮尭胤法親王(天台座主)からも、歓喜団を賜り「拝領」と記している。また真光院僧正尊海とは交流があり、実隆邸を訪問の折、歓喜団を持参している。ほかにも定法院、常寂院、元應寺、理性院などからも送られている。
当時「清浄歓喜団」は、聖天に供えるばかりか、貴族や寺院の高級進物の品としても利用されていたようにも思える。実隆は無類の酒好きで、来訪者が酒を持参し、実隆も一献進めるのが常であった。「清浄歓喜団」も大好物であったかもしれない。
ただ、HPによると亀屋清永は1617年創業とあるので、実隆の時代は100年ほど前で、時代が合わない。すでに「清浄歓喜団」は作っていたが、お菓子屋さんとして創業したのが100年後かと、夢は広がるばかりである。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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