長いことメルマガの原稿を書くには、つねにその話のネタを探さなければならない。日常生活に、アンテナを張ってのネタ探しである。四季折々の景色や行事は、最高の話題であるが、毎年のことであるので、昨年と同じ内容にするわけもいかず難しいものがある。視点を変えればと思うが、そう簡単に切り口が見つからない。
政治的な話題や痛ましい事件などは、本メルマガの趣旨に反する。そんな折、なにかと話題を提供してくれるのが、お寺の菜園である。寺の空き地300坪ほどを菜園としているが、困ったときの話のタネをお願いしている。むろん新鮮な野菜の収穫も楽しいものである。
今回も菜園の話でいこう。
長年菜園をおこなっていると、特殊な野菜を作ろうとする。カボチャやタマネギは、わざわざ作らなくても購入すればよいと思ったからである。ところが初めて植えた今の収穫時期のタマネギは市販されていることもなく、サラダにまるごとスープとおもしろい。
ウオーキングコース(農道)から2mほどの畑の淵にカボチャを植えた。土手を這うカボチャを、散歩の人たちが愛でてくれるのである。なかには「これこそ、本当の土手カボチャですね」と、声を掛けてくれる人があり、苦笑する。
「冬至にカボチャを食べると風邪をひかないと」というので、冬至カボチャを作ることにした。一般的には4月播種で8月の収穫である。カボチャは連作が大丈夫というので、おなじ所に8月初めに播種した苗を9月初めに定植、10月初めに受粉、見事なカボチャが成っているではないか。この地区で、冬至用のカボチャを作っている人がいないだけに嬉しい。
そろそろ収穫の時期かと思われた一昨日、初霜が降りた。するとすべての葉が枯れてしまい、20個ほどのカボチャがむき出しになっている。早速に収穫して、冬至には早いが試食となった。
さすがに夏のカボチャほどの甘さはなく、少しものたりない感はあるが、褒めていえばホコホコ感は問題がなく、またいやなカボチャ臭さもない。ただ如何にせん、甘みがたりない。
ちょうどそのとき、北海道の友人から新豆が贈られてきた。すぐに小豆を炊いて、まさしく「冬至カボチャ」となった次第である。
カボチャと小豆のバランスがとれて、とても美味しく大満足である。メルマガの原稿もできた。
【どてかぼちゃの意味の由来】
どてかぼちゃの語源は土手で育てられたかぼちゃに由来しています。現在かぼちゃはそのほとんどが畑で育てられていますが、昔は川の土手に自生するかぼちゃもありました。しかし、土手で自生したかぼちゃは陽が当たりづらいため形も小さく、味も美味しくないものばかりだったようです。
このように、土手で自生したかぼちゃは痩せて美味しくないということから「役立たず」「半端なもの」という比喩に使われるようになりました。また、土手のかぼちゃは場所を選ばずどこにでも自生するため「どこにでもいる」という意味でも用いられています。
「ちそう」 https://chisou-media.jp/
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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