今年の春は、どういうわけだか家庭菜園のスタートがうまくできなかった。2月には例年通りに簡易温室にて茄子やトマトの種まきを終え、夏野菜の育苗がはじまったのであるが、4月になって畑の準備ができていない。よって植えることができず、半分の苗をだめにしてしまった。
体調を崩したとか、特別の理由があったわけではない。「明日から畑を耕そう」と思うが、当日になると、「まあ明日からにしよう」と、一日延ばしをする。結局、明日は訪れることがないのである。
そうこうしているうちに畑は草だらけとなり、まずは草刈り機で草を刈るところからのスタートとなり、手間は3倍となった。自業自得であるから仕方がないと諦め、でも夏に何も野菜がないのはあまりに寂しいと、老朽化した苗であったが植えた。責任を感じて定植後はまめに水をやり、何とか旧盆頃からは収穫をすることができるであろうか。
しかし、すべてが解決したわけではない。定植が1ヶ月ほど遅れた「落花生」が、まだ植えられずに玄関先に鎮座している。今日にも畑の準備をして植えようと思うが、7月を待たずに「梅雨明け」をしてしまい、乾いた畑に耕運機をかけると砂煙が上がってしまう。人家が近いため、一雨の後でなければならない。
雨のあと定植できても、連日の猛暑にまだ根の張っていない落花生が、耐えられないかもしれない。毎日の水やりが必要と思われる。
早い梅雨明けは、人参にも影響を及ぼす。人参は種まき後の水の管理が難しいという。発芽には充分な散水が必要である。よって梅雨の合間に播種して、梅雨が終わる頃にはうまく発芽させるという方法がとられるが、今年はどうなるであろうか。
自分の畑ばかりを心配しているが、この夏の水不足が懸念される。
ところで願成寺菜園の脇は農道であるが、ウォーキングコースにもなっている。菜園を始めるにあって、10本ほどの花の期間が長い河津桜を選んで植えた。散歩の折、みんなに楽しんでいただこうとの嗜好である。
散歩の人たちが、荒れた畑を見て「住職さん、具合でも悪いのかしら」と言っていることを耳にした。
私の理由もなき怠慢で、いらぬ心配を掛けてしまったものである。申し訳なく思う次第である。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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