先月、大本山増上寺での勤めの帰りに、東京国立近代美術館へ向かいました。当館では、70周年を記念して3月17日から5月14日まで「重要文化財の秘密展」が開催されています。国指定の重要文化財(美術工芸品)は10,872件あるそうですが、明治以降の絵画、彫刻・工芸に限れば68件にすぎないそうです。今回の展示会ではその内の51点が紹介されていました。
昭和30年に重要文化財に指定された狩野芳崖「不動明王図」「悲母観音」や橋本雅邦「白雲紅樹」、菱田春草「黒き猫」、下村観山「弱法師」、安田靫彦「黄瀬川陣」、橋由一「鮭」等の日本画の一級品が展示されています。今でこそ「傑作」の呼び声高い作品も、発表された当初は、それまでにない新しい表現を打ち立てた「問題作」でもあったそうです。
その中でも一際目を引いた作品が横山大観の大作「生々(せいせい)流転(るてん)」でした。圧巻だったのは、その長さです。その水墨画絵巻は40メートルで日本一の長さを誇るそうです。本作は、山から海へと標高を下げていく日本の自然風景の中に、春から冬への季節の変転と朝から夜への時間の変化が微細に描かれています。そして、右から順を追って絵巻を観ていくと、結露した無数の水滴が源流となり、渓谷を流れていきます。そして、川となって海へと注がれ、竜巻が起こると龍となって、天へと昇っていきます。つまり、終わりなく続く自然界の循環、無限のループが表現されていました。
横山大観は「葉末に結ぶ一滴の水が、後から後からと集まって、瀬となり淵となり、大河となり、最後に海に入って、龍卷となって天に上る。それが人生であらう」と談じています。まさに「水の輪廻」を描くことで人の生き死にもそのようなものであると伝えているのであります。
古代インドでは人は生まれ変わり死に変わりを繰り返す「輪廻」という思想があります。仏教においても重要な教えです。死後の行き先は生前の行いによって決まってくるといいます。善い行いをすれば、安楽な場所へ、悪い行いをすれば、苦しみの世界へ生まれ変わると説きます。そのような生まれ変わり死に変わりの無限のループから抜け出していくために、仏教では「行」を修めるのであります。
仏典を開きますと、輪廻から抜け出すことは、容易なことではありません。それ相当の厳しい「行」を自らの力で修めなければなりません。
浄土宗の法然上人は比叡山で難行をされましたが、輪廻の世界を自分の力で抜け出すことはできないと断定されました。そして自らの力ではなく、阿弥陀さまのお力で救っていただく、お念仏の道一筋に歩まれました。南無阿弥陀仏と申せばどんな者であっても、極楽浄土へ救い取るというみ教えは、人の言葉ではなく阿弥陀さまという仏さまのお誓いであるから、間違いないことであると法然上人は仰せになりました。
人の永遠のテーマである生と死。横山大観も仏教思想を作品に描くことで、自分自身の行く末を考えていたのかもしれません。
海福寺 瀧 沢 行 彦
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