今から約850年前に浄土宗を開いた法然上人と出会い、念仏者となった津戸三郎為守という御家人がいました。法然上人自筆と伝わる手紙は約30通ですが、その中の9通が為守宛と言われます。
為守は、治承4年(1180)8月、源頼朝の挙兵に従い、石橋山(現在の小田原市早川、石橋インター付近)の合戦に武蔵国から参戦し、源頼朝に忠義を尽くして名をあげました。
建久6年(1195)2月には、東大寺再建の落慶法要のため、源頼朝の一員として都へのぼり、その際に法然上人と出会います。度々の合戦で殺生することを逃れることができなかった為守は、法然上人の「ただ念仏を称えれば、生死輪廻せずに極楽浄土へ生まれることができる。なぜなら、阿弥陀仏という仏さまが、そのようにお誓いになっていらっしゃるから」という言葉が、心に深く染み込んだといいます。為守は、多くの罪を懺悔(さんげ)し、念仏一筋の人生を歩んだそうです。武蔵国に帰ってからも、お念仏を怠ることはありませんでした。
ある時法然上人は、「熊谷直実や津戸三郎は学問のない者だから、難しい修行ではないお念仏を勧めている。智慧があるものには、念仏を勧めるとは限らない。」という噂が、為守の耳にはいりました。つまり、法然上人は「相手の能力によって勧めている教えが違う」という噂です。
為守は「私は学問ができないから、お念仏をお勧めになられたのか?本当にそうであるのだろうか?」と法然上人へお手紙を書きました。すると法然上人は「極めたる僻事(ひがごと)に候う。」と書き記され、大変な「誤解」、「偽り」であると返答されました。その理由についてこうお答えになりました。
「なぜ、僻事なのかというと、お念仏を勧めるのは、阿弥陀
仏が遠い昔にお約束になった願いは、この世に生きる全ての
命を救うためのもの。学問がない者のためにお念仏を勧め、
智慧がある者には念仏以外の行を勧めるようなことはされて
いません。お釈迦さまのお経『無量寿経』中の阿弥陀仏の十
八番目の誓願にある十方衆生(じっぽうしゅじょう)という
言葉の意味には、学問をした人もしない人も、罪がある人も
ない人も、善人も悪人も、戒律を守る人も破る人も、賢い人
もそうでない人も、それ以下のすべての者が含まれていま
す。阿弥陀さまは、人の能力を極楽浄土へ生まれていく条件
としていないのです。それゆえに、極楽浄土に生まれること
を尋ねてこられる方には、智慧のあるなしを論じることはな
い。誰にでもお念仏の行ばかりを勧めるのです。」と法然上
人は為守へ返答されました。
私たち人の計らいは、「あの人は自分より劣っている、優れている」と比べますが、阿弥陀さまの計らいは、分け隔て無く救いたいというものです。よって、阿弥陀さまは、極楽浄土へ生まれ変われる条件を「人の能力」ではなくて、「お念仏を称えたか、称えないか」という条件一つに定めたのであります。
音楽家の武藤昭平氏「凡人讃歌」の歌詞に「冴えないやつも、うまくいったやつも、ふつうのやつも、みんな一緒さ」とあります。
それと同じように阿弥陀さま側から見た私たちは、すべての人が煩悩の絆を断つことができず、未だ生死輪廻を繰り返す存在、みんな一緒なのです。
法然上人のお言葉によって、仏さまの大慈悲の御心にふれた為守は、生涯お念仏を怠らず、往生を遂げたと伝わっています。
今月は、私たちの能力を問わず、救い給う阿弥陀如来の御心に、自ずとお念仏を申し続けていきたいと感じる津戸三郎為守のお話をさせていただきました。
海福寺 瀧 沢 行 彦
|