秋の澄んだ夜空に浮かぶ満月の下で、日本のお月見の習慣は日本文化の風雅を感じます。十五夜には、月が見えるところに小机を置いて、お団子、里芋、御神酒などを供え、ススキを飾って月を眺めます。
中秋の名月、十五夜と言われる「お月見」は、今年は9月29日でしたが、旧暦では7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋というように、8月15日になります。中秋の名月を愛でる風習は、中国から伝わり、平安時代に貴族の間に取り入れられ、やがて武士や庶民へと広がっていったそうです。もともと日本人は、月の満ち欠けによって月日を知り、農業を行っていたそうで、十五夜は収穫の感謝祭の意味もあったようです。また、十五夜から一ヶ月後旧暦9月13日の月を「十三夜」という風習もありますが、これは日本独自のものであります。
法然上人のお言葉に、
「又人目をかざらずして、往生の業を相続すれば、自然に三心は具足する也。たとへば葦のしげきいけに十五夜の月のやどりたるは、よそにては月やどりたりとも見えねども、よくよくたちよりて見れば、あしまをわけてやどる也。妄念のあしはしげげれども、三心の月はやどる也。これは故上人のつねにたとへにおほせられし事也と。」(和語灯録)
とあり、十五夜の文字を見ることができます。「人目を飾らずにお念仏をとなえ続ければ、自然に阿弥陀さまの極楽浄土へ生まれ変わっていきたいという信仰心は具わっていきます。
たとえば、葦のしげった池に十五夜の月が宿るように、遠くからだと月の光は池に映っていないように見えるけれども、よく近くで見れば、葦の間をわけて月の光が宿っています。そのように、葦のように妄念があってもお念仏を申し続けていれば、往生したいという心は具わっていくのですよ。」というお言葉です。
言いかえれば、葦が生い茂る水面にも月が宿るように、葦が生い茂っているような煩悩まみれの心であっても、阿弥陀さまは、時も場所も人をも選ばず、すべての人々を迷い苦しみの生死輪廻の世界から救うと大慈悲の御心をおこしてくださっているということであります。
仏教詩人、坂村真民先生が46歳の時の代表作「念ずれば 花ひらく」という詩があります。
念ずれば 花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた
このことばを わたしもいつのころからか となえるように なった
そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった
これは、真民先生のお母さんが「我が子を命をかけてでも守り育てたい」という慈悲の心を表しています。真民さんのお母さんは、36歳の時にご主人を42歳で亡くされました。その時に残されたお子さんは、真民先生が当時8歳、上に11歳の姉、その下に6歳の子、3歳の子、一番下は生後11ヶ月間もない幼子がいました。そんな5人の子供を抱えたのです。
女性が一人で子育てしていくことは、今でも大変でありますが、大正時代のことであります。そんななか、「誰一人として、寂しい思いをさせない」自分がこの5人の子供を守り育てるのだという強い思いが、「念ずれば花ひらく」の念でありましょう。自分のことよりも、我が子のことを思いやる。このお母さまの心は、仏さまの誰一人も見捨てないという大慈悲の御心に通じるものであります。また、真民先生の「念ずれば花ひらく」ととなえるようになったのはお母さまの姿がとても有り難かったからでありましょう。
秋の訪れの中、分け隔てない月の光と同じように、阿弥陀さまの救いの光もお念仏をとなえ続ける人の心に、自然に宿るのであります。
海福寺 瀧 沢 行 彦
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