静岡県熱海市の東部の伊豆山は、古くから山腹から海岸へ走るように温泉が湧きだしていたので走湯山とも言われています。海岸沿には、約1300年前に発見されたと伝わる「走り湯(はしりゆ)」があります。横穴式源泉で日本三大古泉の1つに数えられ、奥行き5メートルの洞窟から68度の湯が一分間で140リットル湧き出るといいます。
その伊豆山の中腹に、伊豆に流された源頼朝(みなもとのよりとも)と北条(ほうじょう)政子(まさこ)が忍び逢い結ばれた事から、縁結びの地として現在も多くの参詣者を集めている伊豆山神社があります。昔は、走(そう)湯(とう)権現(ごんげん)(伊豆山(いずさん)権現(ごんげん))と称され、境内には真言宗伊豆の総元締で関東一円に大きな勢力をもった別当寺院の走湯山般若院(はんにゃいん)の大伽藍や東明寺など天台宗・真言宗の兼学の地として多く諸堂がありました。
しかし、明治元年の神仏分離令が発令されると、諸堂は取り壊され、名も伊豆山神社と改称されました。現在境内にある郷土資料館には、県指定文化財の走湯権現立像や宝冠阿弥陀如来像など、当時の信仰を考えるうえで貴重な資料が展示されております。また、正治(しょうじ)二年(1200)一月十三日頼朝の一周忌の日に、北条政子が伊豆山権現の法華堂のご本尊として奉納した自らの髪の毛を除髪して刺繍し作ったという「頭髪(とうはつ)曼荼羅(まんだら)」(複製)が展示されております。
このように、伊豆山(走湯山)には諸宗の僧侶が住居していたようであります。その中に妙真尼というお坊さまがおられたようです。法然上人の伝記『四十八巻伝』二十四巻には、次のようにあります。
「伊豆の走湯山に妙真という名の尼がいらっしゃいました。法華経の持者で、真言宗の行者でもありました。しかし、用事があって京に上った時に法然上人にお会いし、その教えを伺ってからは、長い間の余行を捨てて、ひたすらお念仏をお称えするようになりました。その功がつもって、妙真尼は常に化仏をご覧になられたそうです。それを余人には語らず、ただ同行の尼一人にお話しになりました。ある時、年月を示さないで「私は明日の四時頃に往生するでありましょう。」と申されました。妙真尼は病むことはなく、おっしゃった時刻に間違いはなく、翌日の午後四時に正座合掌して、高声念仏を申して往生を遂げられました。その時、伎楽が天に聞こえ、異香が部屋一杯に満ちて、奇瑞が聞く人見る人を驚かした。」
とあります。
また『九巻伝』によると、
「熊谷直実は、伊豆走湯山に参籠したが、法然上人の念仏弘通の次第を京から下って来た尼公の語りを聞いて、しばらくして上洛し・・・」
とあるように、御家人の熊谷(くまがい)直実(なおざね)が走湯山で妙真尼から「京で法然上人の教えを聞いたことによってそれからお念仏を称えるようになった」という話を聞いて、改めて出家の決意を固め京へ上ったと示されております。
伊豆走湯山には、妙真尼や熊谷直実が訪れるなど、法然上人ゆかりの人がいらっしゃいました。今年浄土宗開宗850年を迎えますが、当時、伊豆国にも法然上人のお念仏のみ教えが及んでいたことを窺い知ることができるのであります。
海福寺 瀧 沢 行 彦
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