六月に入り、紫陽花の色が美しく映える季節となりました。紫陽花の花言葉は、時期によって色が変化することから、無常という意味があるそうです。私たちの状況も常に移り変わるものであります。
現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」で、まひろ(紫式部)が左大臣の集いに参加したシーンがあります。その場面で赤染衛門(あかぞめえもん)という女性歌人が登場します。赤染衛門は、藤原道長の妻である倫子とその娘の彰子に仕えていました。歌人としては真実風流な心のある人で、和泉式部と並び称される才知に長けた方でありました。衛門は、20歳頃に大江匡衡(おおえのまさひら)と結婚をされ、お子さんにも恵まれます。周囲から衛門匡衡と言われるほどのおしどり夫婦であったといいます。匡衡が尾張へ赴任する際にも共に向かい、夫を支える良妻賢母の鏡のような方でありました。
そんな間柄でありましたが、無常の風が吹き夫・匡衡が亡くなります。その悲しみを衛門は、
五月雨の 空だに澄める月かげに 涙の雨は 晴るる間もなし
と歌を残しています。降り続く雨が上がり、空には清らかに澄んだお月さまが浮かんでいるけれども、夫を亡くした私の気持ちは晴れることはなく、今も涙が止まることはありませんという心を詠んだ歌といいます。仲睦まじかったと伝えられていますので、旦那さんを失った赤染衛門の悲しみの深さは如何ほどであったでしょうか。このお歌を通じていつの時代になっても、最愛の方を亡くした悲しみは変わらないのだなと感じるのです。
法然上人のお言葉に、
ある時には、世間の無常なることを思いて、この世の幾程な き事を知れ。ある時には仏の本願を思いて「必ず迎え給え」と 申せ。
とあります。ある時には、世間が無常であることを思って、この人生がさほど長くないことをわきまえなさい。またある時には、阿弥陀仏の本願を思って、「必ず極楽へお迎えください」と口に出しなさいという意味です。
「ある時」というのは、いつでしょうか?それは「今」であります。いつどこで私たちの終焉が訪れるかはわかりません。だからこそ、必ず生死輪廻の世界から極楽浄土へ救うと誓いを立てられた阿弥陀さまのお迎えに預かれるように今から南無阿弥陀仏と申し続ける日々が大切なのであります。お念仏を申した者は、お互いに同じ浄土へ往生することができるのであります。
先日東京国立博物館で「法然と極楽浄土」という展示会が開催されていました。そこには、八世紀の中国唐または、奈良時代のものといわれる縦横約4メートルにもなる国宝「綴織當麻曼荼羅」(奈良・當麻寺蔵)が公開されていました。その曼荼羅の右下には、お念仏を申し続けた者の臨終の夕べに阿弥陀さまと菩薩さま達が様々な楽器をお持ちになられて、来迎されている様子が描かれていました。博物館には、その美しさに思わず手を合わせる方々が沢山いらっしゃいました。来迎という尊い奇瑞は、現代の私たちにとっても心の支えとなり得ることを実感したのであります。
どうぞ皆さまも、愛しい間柄の方と共々に今から南無阿弥陀仏とおとなえし、生きる支えとして参りましょう。
海福寺 瀧 沢 行 彦
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