ボストンというと、なにを思い浮かべるだろうか。
野球が好きな人は、ボストンレッドソックスだろうか。現在だと吉田正尚、古くは松坂大輔、岡島秀樹などがいた、名門チームである。
歴史的には、1773年のボストン茶会事件は、アメリカ独立戦争へ転機となった場所でもある。また2013年には、ボストンマラソンでのテロもあった。マラソンのゴール地点での圧力鍋を使った爆弾テロは、911以降のアメリカ社会に大きな衝撃を与えたものであった。
しかし、私にとっては、ボストンというとある種の憧れもある所である。マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学と超名門大学があり、アメリカ有数の大学都市であり、文理系学問、文化の中心なのだ。
さて今回、ボストンでの海外調査の機会を貰い、「鐘」について調査をおこなってきた。どうして「鐘」をボストンで調べるのかと、お思いだろう。そもそも「鐘」といっても色々なものがあるが、今回見てきたのは、大体どの仏教寺院にもある、僧侶が使うすり鉢状の大鐘(だいきん)と呼ばれるものである。願成寺では、ピアノの近くにあるゴーンと鳴る鐘と言えば、わかるかもしれない。
ところでボストンの話に行く前に、ハワイ・ホノルルの話をしなければならない。2016年にホノルルの寺院において、とある「鐘」を見つけたことが、この調査のはじまりであった。写真を見てもらいたい。「鐘」の作られた年号が彫られており、「永久ニ年甲午正月」とある。永久2年とは、1114年、後鳥羽天皇の時代である。こんなに古い「鐘」がなぜハワイにあるのか、そもそもそれほど古い「鐘」は他にもあるのか。
そんなハワイでの謎を解くために、ボストンに行くこととなったのである。
ではなぜボストンなのか。ボストン美術館は、日本の色々なものが明治期に収集されているからである。岡倉天心やフェロノサ、大森貝塚を見つけたモースなどが、様々なものを収集し、コレクションとして所蔵されている。
その収蔵品の中に、日本の仏教寺院の「鐘」があり、同様のものがあるのではないか、ということで調査をおこなった。こちらの結果については、今後論文などで発表することもあるので、結果のみを書くが、ハワイの「鐘」の方が古く、なんでそんな重要なものが現在もホノルルの寺院で使われているのか、謎のままである。
想像するに、ハワイに日本人が移民として渡る際、僧侶もハワイへと渡り、その際に新たな寺を作るために、集められた仏具がたまたま古かった、という可能性がある。江戸時代に作られた「鐘」は現在、日本では重要文化財級となっており、音を出すのも憚られる。
ただ、私自身は僧侶と共に研究者でもある。想像したことが果たして正しいのか、それとも違う歴史があるのか、客観的な「証拠」を探して明らかにしなければならない。
今回の調査の成果は、ボストンまで行っても謎が解けないことが判った、ということであり、むしろ、またホノルルになんでそんな古い「鐘」がつかわれているのか、由来を日米の両方で探す、という方針が決まったのである。
成果とは、「証拠」が見つかる成果が一番だが、研究していった結果、意味がなかったと判れば、それも成果なのである。
しかし、ボストン美術館を見ることができ、さらに収蔵品や岡倉天心が日本や東洋の文化を明治期に、西洋に紹介する為に集めたコレクションに触れられたことは、得難い経験であったのは確かであった。
また次も、ハワイで、海に入らず、買い物もせず、ただひたすらに図書館と寺の収蔵庫を見ることが、私に与えられたミッションとなったのも確かだ。
研究とは、そういう泥臭いものの積み重ねなのであり、今後も研鑽を積んでいきたい。
願成寺副住職 魚 尾 和 瑛
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