去る10月20〜22日、ホノルルの浄土宗ハワイ別院において、「浄土宗開宗850年・ハワイ開教130年の慶讃法要」が行われた。私もハワイ開教に微力ながら関わる者として、随喜させていただいた。
今回の滞在では、昨年の8月のマウイ島ラハイナの大火で焼失した、ラハイナ浄土院に行くことができ、犠牲者追悼、ラハイナ浄土院復興も祈らせていただいた。
ラハイナ浄土院は、今から30年ほど前に初めて訪れて以来、ことあるごとに滞在した、思い出深い所である。「昨年の大火で焼失した」と聞いた時は、第2のふるさとが無くなってしまったような、そんな気持ちでいた。
幸いにもラハイナ浄土院の原開教使ご夫妻、ご本尊は無事で、ご子息が主任開教使を勤めるワイルク浄土院に住んでいらっしゃる。
1年以上経った今もラハイナは、アスベストやリチウムイオン電池などが燃えたことによる土壌汚染によって、入れる地域が制限されている。街の約90%が焼けてしまい、ほぼすべてが灰燼となった今、ボランティアによる初期清掃が済んだ後、土壌の清掃や、建物の基礎などの清掃、解体が軍によって進められている。今回の訪問は、土壌の清掃などが済んだため、適ったものであった。
見慣れた門も本堂も三重塔も、すべてが見えない。ただ海と焼け落ちた鐘、大仏しかないのである。海の方から火の手が迫ったという。ハワイの近代史について研究しているが、このような大火は聞いたことがなく、ラハイナのメンバー(檀家)達もこのような大規模な野火は初めてだという。
130年の開教の歴史の中で、寺院の火災は、3回しかない。オアフ島エワ浄土院が第二次大戦中に米軍によって焼かれた。そして他2回はラハイナ浄土院である。1968年に大火にあい、本堂が焼失した。しかし、原開教使とメンバー達の努力によって復興し、三重塔も建立された。だが、それらも今回の大火ですべて再び消失してしまったのである。
原開教使は、昨年でハワイに赴任して60年目であった。開教の歴史の約半分を知る、歴史の生き証人である。88歳になられた今も、ラハイナ浄土院の復興、ラハイナのコミュニティの復興を目指している。州政府、役所とのやりとりなどは、原開教使のご息女が対応し、家族やメンバー一丸となって復興への道を模索している姿を見ました。
日系人と呼ばれる人たちは、5世、6世となり、アイデンティティや考え方も変化している。そのようななかでも、130年の歴史のある浄土宗の信仰を守ろうとする、僧侶やメンバーの姿は、まさに開教である。僧侶として、研究者として、カメラマンとして、私の持てる力は微力かもしれないが、様々な形で支援したいと強く思った訪問であった。
願成寺副住職 魚 尾 和 瑛
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