皆さん、開木+邦(木へんに邦)(かいぱん)という仏具をご存じでしょうか?この仏具で有名なのが、黄檗宗(おうばくしゅう)萬福寺(まんぷくじ)斎堂前に吊るされている魚の形をしたものです。材質は、魔除け、邪気を払うといわれている桃の木を使用しているそうです。魚の口元を見ると、珠をくわえています。この珠は煩悩を表し、魚の横腹を叩くことで煩悩を吐き出させるという意味があります。この開木+邦(木へんに邦)(かいぱん)が木魚の原形といわれています。魚の形に刻まれているのは、昼夜目を閉じない魚のように、常に目を覚まして精進せよという戒めのためであります。
浄土宗で木魚を用いるのは、お念仏に精進するためでありますが、法然上人のお言葉にも
信(しん)をば一念(いちねん)にうまると信(しん)じ、行(ぎょう)をば一形(いちぎょう)に励(はげ)むべし
とあります。一遍のお念仏であっても極楽浄土へ往生できると信じて、お念仏の行に一生涯励むべしと仰せになっています。
例えば、わずか一遍や十遍のお念仏の声であっても、極楽浄土へ往生できるからといってお念仏を粗相におとなえしたら、信心がお念仏の行を妨げている状態であるということです。
以前に「阿弥陀さまは、一遍のお念仏でもお救いくださる」とお伝えしたら、「じゃあ、自分は最後命尽きる時にとなえるから、今は声には出さない」とおっしゃる方がいらっしゃいました。私はどうお伝えしたらよいかなと考え、こうのようにお話しました。「私は自分がいつ亡くなるかわからないので、毎日おとなえするようにしています」と、お伝えすると「確かにそうですね。自分がいつ亡くなるか。それはわからないですね」と頷いてくださいました。
人の心にけものがござる ずるけものになまけもの
私たちはもう本能的に、ずるけの心なまけの心があります。ですから、ずるけやなまけの心が勝りますと、信が行を妨げてお念仏を申さなくなる恐れがあるということです。
一方お念仏を絶えず申しているからといって、一度位のお念仏では往生できるのだろうかとお念仏の功徳を疑う事は、阿弥陀さまの一遍のお念仏に一度の往生を当ててくださったご本願を信じずにお念仏を申しているので、行が信を妨げている状態となります。そのように法然上人は、「信」と「行」が相応していることが大切ですよと仰せになっています。
では、どのようにしたらそのようになるのでしょうか?法然上人のお言葉の中に「一形(いちぎょう)」という言葉がありました。これは「一生涯」という意味です。よって「心は一遍のお念仏でも極楽浄土へ往き生まれることができると信じ、行いは一生涯にかけて南無阿弥陀仏とおとなえし続けるべきです」となります。つまり、信じる心を養うための手立ては「一生涯申し続けていくこと」なのです。
一声(ひとこえ)のお念仏でも見捨てないという阿弥陀さまの大慈悲のみ心です。お念仏を申す際に木魚などがありましたら、疑心や怠け心を打ち出すような気持ちで、秋の深まりのように阿弥陀さま極楽浄土への想いを深めて参りましょう。
海福寺 瀧 沢 行 彦
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