新年あけましておめでとうございます。本年も「願成寺メールマガジン」をよろしくお願い申しあげます。
さて、お寺では毎月2回「源氏物語講座」をおこなっております。無料で「おやつ」付きで、どなたでも参加できます。宮内庁書陵部藏青表紙本「源氏物語」を読んで、住職が講義いたしております。
大学で講義していましたときには、学生に1頁ぐらいほど、立たせて読ましておりました。坐って読ませると、脇に置いた活字本を読むから立っての読みとなります。読めない学生は、読めない字にあたると、私が教えます。1行(およそ15字くらい)を読むのに1〜2分ほどかかるので、1頁(10行)では15分となり、授業になりませんので3行で「も少し頑張るように」といって次の学生に移ります。
一般の講座では、決して参加者ひとりひとりに読ませることはいたしません。読ませたならば、だれも来なくなってしまうからです。寺での講座は40年以上続いており、毎回15人ほどの参加者です。第1回から参加している方はすでになく、すべて極楽浄土に旅立っております。続きは極楽浄土でおこなうことを約束しておりますが、決して私を呼ばないように固く言ってあります。みな約束を守ってくれており嬉しいのですが、私が極楽へいけるかどうかが心配でなりません。
ほんのすこし残念なことは、お檀家さんの参加者が2人しかいないことです。ですが、親のあとを引き続いて娘さんが参加されている人、夫のアッシー君で参加する人、行きも帰りもタクシーで参加して下さる人がいると思うと、元気なうちは頑張りたいと思っております。
ところで教科書に使っている青表紙本「源氏物語」は、三条西実隆が証本とした源氏物語であります(写真)。
実隆は公家であると同時に、能書家であり国文学者であり、源氏物語の蒐集・編纂・普及に貢献した人物である。また60年間にもおよぶ日記「実隆公記」を残しており、当時の公家文化の知る貴重な資料であります。
文明十八年(1486)正月大
二日天晴、今日覧源氏初音巻、
とあり、毎年原則として2日には、源氏物語の初音の巻を読んでおります。
新春を迎えた六条院は、この世の極楽浄土の如く麗らかで
素晴らしかった。源氏は春の町で紫の上と歌を詠み交わし、
新年を寿いだ。紫の上の下で養育されている明石の姫君に生
母明石の御方から贈り物と和歌が届き、源氏は娘との対面も
叶わぬ御方を哀れに思う。夕暮れ時、源氏は贈った晴れ着を
纏う女君たちの様子を見に花散里と玉鬘、さらに明石の御方
を尋ねる。その夜はそのまま明石の御方の元に泊まり、紫の
上の不興を買う。(ウィキペディア)
光源氏の邸宅六条院が建てられた初めてのお正月、光源氏をはじめ御方がたの様子が描かれていることから、お正月に初音の巻が読まれるようになったのでしょう。
舞台はお正月であるが、我が子の将来のため、光源氏と紫の上に3歳の我が子を託した明石の上の歌には、手放し二度と会うことのできぬ母親の悲痛さが滲み出ている。
年月を 松にひかれて 経る人に 今日鴬の 初音聞かせよ
(おわかれして、ずいぶんたちますが、うぐいす(我が子、
明石の姫君)も巣立った松(私、実の母親)に、うぐいすの
初音−初便りをお聞かせくださいまし)
明石の上の気持ちを察したのであろうか、光源氏は、その夜、紫の上のもとには帰らなかったのである。
光源氏36歳、三歳のとき手放した姫君は8歳、明石の上27歳の正月である。
【三条西実隆】さんじょうにしさねたか
1455-1537(康正1-天文6)
室町時代後期の公卿,学者。公保の子。号は聴雪,非隠子。皇室が衰微し公家政治も解体に瀕した時代に,後花園,後土御門,後柏原3朝に歴仕し,各天皇の信任をうけて皇室経済の復興に努力し,1506年(永正3)従二位,内大臣にいたったが,この年辞任。16年出家。法名尭空。道号耕隠,逍遥院と号する。
学者としての功績の第1は,一条兼良(かねら)のあとをうけて中世和学の発達を推進したことである。実隆は有職故実(ゆうそくこじつ)に精通して朝儀の保存につとめる一方,応仁・文明の乱(1467-77)で散失した和漢の書物の収集や書写にも努力した。能筆のゆえもあって染筆の依頼が多く,古典のほか《北野天神縁起絵巻》など絵巻物の詞書(ことばがき)等,実隆書写本は多数にのぼる。宗祇,肖柏らから《源氏物語》《伊勢物語》などの古典,桃源瑞仙から《東坡詩》などの講釈をうけるなど勉学にはげみ,同好の士を集めて研究会もひらき,先人の研究を集成して実隆自身も《源氏物語》以下日本古典や儒学をたびたび講義した。また宗祇からいわゆる古今伝受(授)(こきんでんじゆ)をうけ,これを子の公条に伝えた。実隆はまた和歌・連歌にもすぐれ,《新撰菟玖波集》の編纂に協力した。(後略ジャパンナレッジ)
【証本】しょう‐ほん
証拠とすべき書籍。由緒正しい本文を伝えて、他のよりどころとなる本。
【『実隆公記』】(さねたかこうき)
実隆公記は、室町時代後期の公家、三条西実隆の記した日記。期間は、文明6年(1474年)から天文5年(1536年)までの60年以上に及ぶ。同時代の一級資料。記述は京都の朝廷、公家や戦国大名の動向、和歌、古典の書写など多岐に及ぶ。自筆本が現存し、1995年(平成7年)に重要文化財に指定された。
室町時代後期の公家文化を理解するのに有用な史料である。鎌倉時代から室町時代前期の日記とは異なり、儀式に関する記述はわずかで、多くが禁裏への出仕、歌会、寺社参詣、火災や戦乱などの記述で占められている。これは同時期の公家の日記に共通する特徴である。
高橋秀樹によると、実隆は「中世で一番の著述家」として群を抜いており、実隆なしに中世後期の文化を語ることはできず、『実隆公記』なしに中世後期の歴史を語ることもできない、としている。
実隆の死後400年以上にわたって、自筆の原本は三条西家に代々伝えられてきたが、太平洋戦争後に東京大学史料編纂所に移管され、同所に所蔵されている。翻刻版が、続群書類従完成会より刊行されている。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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